琉球独立論が抱える致命的な欠陥

以前当ブログにおいて『琉球独立論考』と題して沖縄における独立論の欠点を指摘しました。改めて説明すると、「独立論は歴史において琉球民族が存在したことを前提に理論を組み立てている」ことは仮説と事実の混同であり、先に万人に通用する民族論を確立すべきであるとの記事内容ですが、今回は琉球民族の定義についてもう少し詳しく言及して現在の独立論が致命的な欠陥を抱えていることを説明します。まずは琉球独立運動かりゆしクラブの屋良朝助氏の見解をご参照ください。

屋良朝助氏の見解

独立怖い病*とは

沖縄は経済的に自立できないと思い込んでいる、又は思いこまされていること。1609年の薩摩侵略からじょじょにかかってきました。1609年以前は殆どの人が琉球人意識があり立派に琉球国を経営していました。ところが1872年の琉球処分から植民地教育、日本人教育により琉球人が能力のない卑しいものとされ、琉球語や文化も弾圧され、いつのまにか独立心もなくしてしまったのです。独立心がなければ国の経営も当然できるわけがありません。

引用:琉球独立運動かりゆしクラブ公式ホームページ

かりゆしくらぶ公式ホームページ内の「屋良朝助より若者へ」からの抜粋ですが、注目は「1609年以前は殆どの人が琉球人意識があり立派に琉球国を経営していました」と記載していることです。彼は琉球民族が実在していたことを前提に独立論を展開していますが、果たして琉球民族は歴史上本当に存在していたのでしょうか。

”民族”とはあくまで歴史など学問上における”仮定”であり、実在したか否かは別問題です。我が沖縄において為政者たちが”琉球”の概念を意識するようになったのは察度(さっと)の時代における明国との外交関係樹立がきっかけであり、それまでは権力者たちに民族意識があったかどうか確認することはできません。

しかも”我々は琉球人である”という民族意識は、民間で広く共有されたかは不明です。たとえば尚家とその家臣団には琉球人であるとの意識はありましたが、一般の士族はそれ以上に首里や那覇など出身地の意識のほうが強かったのです。その理由は明治時代になるまで庶民はおろか士族においても移動の自由がきわめて狭く、地域間交流が絶無に近い状態だったからです。

はじめて琉球民族を定義した伊波普猷博士

明治44年12月10日沖縄公論者発行の伊波普猷著『古琉球』はブログ主が確認する限りですが琉球民族の存在を前提にして記された初めての歴史書です。それまでの史書はほとんどすべて”王家の歴史”であって、伊波先生の『古琉球』をもって初めて”琉球民族”と”民族の興亡”の概念が沖縄社会にもたらされます。

『古琉球』は当時の若者世代にきわめて大きな影響を与えたらしく、そのなかの1人に仲宗根源和(1895~1978)がいます。彼は沖縄の自立を模索した政治家または知識人ですが、彼もまた琉球民族の実在を前提に論理構成しています。そして現在では独立論に限らずほとんどの識者が伊波先生が提唱した琉球民族の定義を(無意識に)信じているのではないでしょうか。

琉球民族の実在が否定されたら独立論は成り立たなくなる

繰り返しますが民族とはあくまで学問上の仮説であって実在したか否かは別問題です。たとえばニュートン力学における3原則(慣性の法則、ニュートンの運動方程式、作用・反作用の法則)は極めて汎用性が高い定義ですが、彼はその前提で①真空であること、②摩擦のない平面、③質点(重心に全質量が集中し大きさを持たない点)という現実ではありえない空間を想定しています。

その汎用性の高さからニュートン力学は普遍性を持つと信じられ、後に電磁地学が発達するまでは絶対的な存在でした。現実にはありえない空間から物理現象を簡単に説明できる法則を導き出したアイザック・ニュートンはまさに天才ですが、彼の仮説が普遍性を持つか否かは別問題です。実際に19世紀以降は古典力学では説明できない現象が見つかり新たに量子力学が誕生します。

民族の定義もニュートン力学と同様であくまで単なる仮説であり必ずしも普遍性を持つとは限りません。にも関わらず現代では琉球民族の存在を疑うことなく、その定義に合致しそうな歴史的事実を張り付けて論理を構成するケースが見受けられます。もちろん独立論もその一派になりますが、仮に琉球民族の実在を否定されると独立論は成り立たないことになります。そしてこの点に気付いていないことが独立論最大の弱点なのです。

王国の存在イコール民族実在の証明にはならない

かつて我が沖縄では権力者たちが沖縄本島や先島地方を支配した歴史的事実があります。慶長の役(1609年)までは日本や中国に対して独立した権力が実在したと見做しても構わないのですが、だからといって琉球民族が存在した証拠にはなりません。理由は当時の権力者と民間との間に民族意識の共有があったか否かを証明することができないからです。

民族の定義で一番大切なのは”概念の共有”です。具体的には社会階層の垣根を越えた民族の概念があったか否かですが、沖縄において階層を超えて概念が共有されたのはアメリカ世時代における復帰運動が最初と言っても過言ではありません。その時は「われわれうちなーんちゅは日本人である」という概念が沖縄全土の隅々までいきわたり復帰運動を盛り上げる原動力となりました。

果たして慶長の役(1609年)以前に社会階層すべてを網羅する民族意識の共有概念があったかどうか、あるいは慶長役後の琉球王国や大日本帝国時代の沖縄県にはそのような発想があったのか、ブログ主は寡聞にして存じませんが琉球民族の実在を前提に論理構成している識者はそのことを証明する義務があります。その手順を踏まずに従来通り民族の存在を前提に独立論を展開しても賢明な沖縄社会の住民たちには金輪際支持を得ることはないとブログ主は確信しているのです。

 

 

 

 

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