県知事選を終えて – オール沖縄の末路(2)

(続き)今回は、再選した玉城デニー知事の今後についてブログ主なりに調子に乗って考察します。実は今回の選挙の特徴の一つに “政策論争がちっとも盛り上がらなかった” ことがあります。選挙戦を傍目で見ると、佐喜眞候補が政策論争を持ち掛け、玉城候補側が華麗にスルーする感じに見受けられましたが、それが許されるのも、玉城知事の支持者の「政策論争なんぞどうてもいい」との本音が見え隠れしたのが極めて興味深いです。

ぶっちゃけな話、玉城知事が当選したのは、彼の「無能ぶり」を支持者が高く評価したからです。当ブログでも指摘しましたが、沖縄社会に根強い「現状維持願望」を維持するのに最適な人物として、玉城デニー氏が選択されたのは疑いの余地がありません。

ならば玉城デニー知事は今後4年間、どのような県政を運営していくのか、その手掛かりになる記事が13日付沖縄タイムスに掲載されてましたので、全文を紹介します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

知事、国葬に出席せず

「すでに県の弔意示した」

玉城デニー知事は12日、政府が実施する安倍晋三元首相の国葬には出席しないと明らかにした。知事は7月12日に県庁に半旗を掲揚したことなどから「すでに県としての弔意はお示ししているものと考えている」と述べた。那覇市内で記者団に答えた。

すでに全国知事会を通じて、政府側に出席しない意向を伝えた。

知事は「閣議決定だけで物事が進められ、しかも当初の予算案よりもさらに膨らんでしまった」と指摘。安倍氏の評価に関し「多くの国民の中にも、信任できること、承服できないこと、全く許されることではないことなど、いろんな思いがあると思う」とした。

「そういう思いの中で、半強制的な形で(国葬が)行われるのではないかということに対して、世論が非常に厳しいものがあるのではないか」とし、「政府はなお(開催について)熟慮していただきたい」と話した。

県議会事務局によると、赤嶺昇議長にも12日、案内状が届いた。対応は現時点で未定。(政経部・大城大輔)

令和04年09月13日付沖縄タイムス02面より抜粋

ブログ主は、この記事を参照した後に、昭和44年11月26日の屋良主席の不義理(日米返還交渉を纏めた佐藤総理を羽田空港で出迎えなかった案件)を思い出しました。この案件については後日、改めて言及しますが共通点として、

・琉球政府(あるいは沖縄県庁)よりも、支持団体の要請を優先せざるを得ない

革新共闘会議の伝統芸を玉城デニー知事は再現しているのです。

オール沖縄会議はもはや政治団体として機能していません。寄付金は集りませんし、船頭多くなんとかの末期症状なのです。事実、沖縄タイムスの特集記事でも

選対関係者は敗戦後、「市長候補を支える屋台骨がないのは、どうしようもない」と白旗を上げた。革新票が保守系にひっくり返されている現状を指摘しながら「船頭がいないオール沖縄の体制では、今後も打つ手はない」とつぶやいた。

令和04年09月14日付沖縄タイムス02面

とあり、玉城デニー知事が打つ手はただ一つ、瀕死のオール沖縄勢力を繋ぎ止めるために全力で県政を運営するしかないのです。

その場合、最大の問題は

権力の監視がお題目のマスコミが、玉城県政の権力の “私物化” をスルーするのでは

という疑念がぬぐえないことです。ブログ主は既存マスコミが “大人の都合” で玉城県政に忖度する危険性を指摘して今回の記事を終えます。