真栄原2丁目(旧真栄原社交街)に行ってきたよ

唐突な感じもしますが、散歩企画として真栄原2丁目(旧真栄原社交街)の現在の様子をアップします。キッカケは佐野眞一さんの『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史(上)』を読んで、懐かしさの余り現在廃墟と化した社交街を散策してみようと思いついたことです。

真栄原社交街の歴史は機会があれば後日紹介するとして、この街は「新町」の名称で有名でした。昔はバス停も「新町入り口」でしたが、現在は「第二真栄原」になっていて、「真栄原社交街」の看板も撤去されています。ではブログ主が撮影した現在の真栄原2丁目をアップします。

・赤で囲まれた旧真栄原社交街に入るには3つのルートがあります。①、②、③のマーク付けしましたが、すこし分かりにくいでしょうか。

①のルートは昔「真栄原社交街」の看板がありましたが、いまは撤去されています。

②のルート入り口は昔サンエーがありました。確か沖縄本島1号店です。現在は高層マンションが建っています。

③のルート入り口向かいには真栄原交番があります。

①のルートから旧社交街に入ります。

・この場所にピンと来た訪問者はかなりの歴史マニア(あるいは宜野湾市民)です。平成2年10月3日の第六次暴力団抗争で発砲事件(射殺)があった場所です。

・この看板まだありました(笑)

・予想以上の寂れ方です(写真はランダムにアップ)なお周囲の新築アパートと比べるとタイムスリップ感が半端ないです。

・あっ(察し)となる建物もあります(車両が4台駐車している所)

・行動右翼団体と思わしき事務所(監視カメラあり)と車両を見つけました。

・ちなみに沖東交通の事務所もあります。

真栄原社交街では第四次と第六次の暴力団抗争で発砲事件があります(なお両方とも射殺者がでました)。有名なのは昭和49年(1974)10月24日のクラブ「ユートピア」での新城善史射殺事件です。『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』には次の記述があります。

(佐野)かなり大きな店だったんですね。

「ええ、内地資本の店でしたからね。沖縄資本の店はアメリカンスタイルを真似てみんな前払いでした。そんな店だとケチくさいと思ったんでしょうね。内地から来た私を新城さんがわざわざ『ユートピア』に接待してくれたんです。生バンドが入って、ホステスさんも100人近くおったんじゃないですかね。」

かつて100名近くホステスが常駐しているお店が営業していたとは思えないほどの旧真栄原社交街の寂れっぷりには正直ビックリします。それだけ多くの人たちが社交街を訪れていたのでしょうが、いまは立派な廃墟と化してしまいました。時代の流れをひしひしと感じます(終わり)。

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