血ぬられたゼネスト

(前号 “旭琉会抗争 風化させない” の続き)今回は、昭和46年11月10日に発生した、“沖縄ゼネスト警察官殺害事件” について言及します。ちなみにこの案件は “琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(以下・沖縄返還協定)” について詳しく説明した上で、事件を紹介するのが最良ですが、返還協定に言及するとそれこそ時間がいくらあっても足りないため、限られた字数内でできるかぎり分かりやすく説明します。

昭和46年11月10日のデモ、いわゆる “11.10ゼネスト” は大雑把にいって返還協定に反対する団体(復帰協など)が主催した一大大衆運動です。返還協定反対の理由は、”米軍基地を残したまま” 日本への施政権返還に強烈に反発したためで、その主張は当時の琉球住民たちの幅広い支持を得ます。それゆえに “権力に対する大衆の叫び” が正義の昭和40年代の社会的雰囲気に合致して、前代未聞の規模でゼネストが行われたのですが、その際に警察官が過激派学生(中核派ら)に惨殺されます。その様子は下記引用をご参照ください。

乱れ飛ぶ火炎ビン警官1人死ぬ

返還協定反対デモ / 学生ら交番など焼き打ち

10日午後、那覇市与儀公園で約6万人(主催者側発表)を集めて「沖縄返還協定批准反対完全復帰要求県民総決起大会」がひらかれたが、大会後のデモは乱れ飛ぶ火炎ビン、投石などで騒然となり、警官1人が死亡した。同日午後5時40分ごろ、1号線道路を埋めて米民政府前に向かうデモ隊にまぎれこんだ中核、インターなどの過激派学生グループ約80人が浦添市勢理客512番地さき1号線路上で警備中の琉球警察機動隊に火炎瓶をなげ退避した機動隊の中から逃げおくれた山川松三(48)巡査部長=与那原署勤務・那覇市●●〇〇〇の〇〇=が火ダルマになり倒れたところを多人数が今コン棒でめった打ちした。同巡査は血を吹いて重体となり、付近の安謝病院に運ばれたが、同六時、全身打撲と出血多量のため死亡した。警察官が大衆行動の警備中、殺害されたのは沖縄でははじめて。復帰協の指導部は同6時、安謝橋手前でデモ隊に解散を指令したが、これを不服として解散しないデモ隊めがけて機動隊は催涙ガスを11発発射し、さらに追いかけて無差別にデモ隊員、一般市民を警棒で乱打した。この騒ぎでデモ隊、一般市民、機動隊双方に計数百人の重軽傷者が出て沖縄の史上最大の不祥事となった。

数百人が重軽傷 / 機動隊 / 催涙ガス銃を発射

復帰隊のデモは先頭の沖縄県教職員組合約6000人が、午後5時すぎ1号線をフランスデモで道路いっぱいにひろがり泊高橋をすぎたあと同5時半ごろ、全軍労が那覇支部を先頭に1号線へでて、ジグザグデモをはじめた。この時、天久方面から泊方面にむかって中核旗をかかげた学生集団約80人が両手の火炎ビンを火につけて走ってきた。みな白い覆面に目、鼻、口だけだし「暴動決起」「機動隊せん滅」と叫びながら無人になっていた高橋巡査派出所(那覇市高橋町2ノ38)に約20本の火炎ビンをなげつけ、同派出所は一時火に包まれた。学生らは「暴動だ」「米民政府をやっつけと」「アメリカは出ていけ」と叫びながら天久米人住宅地域の変電所、南北ゲート、ガードボックス、金網ぎわの米人住宅4軒につぎつぎと火炎ビンをなげた。

この学生の動きに刺激されたデモ隊は米人住宅地に投石したり「機動隊をやっつけろ!」「基地に突入しろ!」と叫びながら安謝橋をわたった。5時40分すぎ勢理客の沖縄トヨタ自動車販売KK横に待機していた機動隊めがけて火炎ビン数十本をなげつけた。ひるむ機動隊員のうち逃げおくれたり、デモにつっこんできた3人の機動隊員のうち山川巡査部長が足、腰に火がついて転倒、そこへ学生らが10人くらい殺到して頭、胸、腹部を「殺せ!」といいながら乱打した。同部長は口から血を吹いて意識不明になり、まのなく死亡した。(下略)

引用:昭和46年11月11日付琉球新報1面

参考までに、殺害された山川巡査に関する記事も紹介します。

同僚が次々と焼香 / 無残な姿に目をおう

山川巡査部長の遺体は11日午前9時から那覇署の安置室で高橋警本法医学顧問の執刀で解剖された。警備服は火炎ビンで焼かれ、全身は殴打されたキズだらけで立ち合いの捜査員も変わり果てた同僚の姿に目をおうほど。解剖の間、安置室前にはにわか焼香台がしつらえられ、遺族や警本の幹部、警察官、元警察官がつぎつぎ焼香にかけつけ、手を合わせてなき山川さんの死をいたんだ。

警本には国場幸太郎国場組社長や元警本部長の新垣淑重氏、大浜国浩立法院議員ら多数がかけつけ、新垣本部長に山川さんの死をいたみ、哀悼の意を述べ、警本、那覇署には追悼客がひっきりなしに訪れた。

引用:昭和46年11月11日付琉球新報夕刊03面

上記引用から、過激派学生の行動は “確信犯” であることがわかります。前号で言及した旭琉会の男子高校生および2警官殺害は “誤射” です。たしかに両方とも悪質な事件ですか、悪質度では11.10ゼネスト時がはるかに上です。

そして人命尊重の観点、または歴史の教訓として風化させてはいけないのは、間違いなく11.10ゼネスト時の警察官殺人事件の方なのです。

だがしかし、我が沖縄の言論界は総じてこの案件をスルーします。死者が1人もでていない “コザ暴動” が毎年クローズアップされるのに比べると摩訶不思議な現象にも思えますし、そして沖縄のマスコミは、同じ警察官の死に対して

なぜ命に等級をつけているのでしょうか。

次回、この案件に関して、ブログ主が考える限りの理由について言及します。(続く)

SNSでもご購読できます。