今回は前回の『暴力追放①』の後半部を紹介します。ブログ主が見た限り特に目新しい記述はありませんが、気になる点をふたつ補足します。一つ目は「表面にでない暴力の根を断てばすむことだが※(以下略)」の箇所について、実は昭和37年(1962)に琉球警察はそれをやって大きな成果を上げています。にもかかわらず “反社会的存在” が再興するのは、琉球社会の現実が彼らの存在を “必要” としていたからです。
具体的には昭和38年(1963)年の犯罪発生率が前年度から激増しています。この件については当運営ブログでも言及しましたが、自警団等を運営するアシバーたちを閉め出した結果、繁華街において “(組織には加入していない)小さな暴力” が蔓延する結果になったからです。
二つ目は「どんなささいなことでもよいから警察に連絡してもらいたい。お礼まいりなどがあるようなら、警官を常駐させてでも安全を保証する。暴力を取り締まれといっても、手がかりがなければ警察としてもどうしようもないのだから住民は、もっと協力してほしい」の箇所について、この点も以前触れたように、住民側は「事件が起こる前になんとかしてほしい」、警察側は「事件が起こったら連絡してほしい」との要望のすれ違いが、結果的に(住民たちの)警察への “非協力” な態度につながっています。
おそらく琉球警察も新聞社もこのあたりの事情は痛感しているはずですが……
とりあえず後半部をご参照ください。
昭和40年8月31日付沖縄タイムス朝刊07面
(続き)そして「暴れまわっているのは、ほとんど新顔だ」といわれるように、直接行動に出るのは、これらの “若もの” で、当局からマークされ、常に動静を握られている幹部連中は、めったに表面にでない。それだけに行動はハデになり取り締まりは、ねらうべき的なないまま、散発状態に終わり、獲物はザコばかり。表面にでない暴力の根を断てばすむことだが※、これらは常に法律のスレスレのところにいて手が出せない。「へたに手を出したら、なんにもしないものをつかまえた」ということで人権問題になりかねないというのが取り締まり陣の悩みである。それにつけ込んで暴力の根は、ますますはびこっている。その結果、幹部連中は、何の懸念もなく、それぞれの役割りを遂行する。役割りのほとんどは、資金源の確保ということになる。寄り合い世帯だけに、資金の大小は直接、組織の大小、強弱を決めることになり、資金源の確保には、それこそ “いのちをはる” のだという。幹部クラスは、そのために遊技場を経営したり、バー、キャバレーなどにも手を出している。ちゃんとスポンサーもつかんでいるという。
それだけに暴力追放は、まず資金源を壊滅するのが、もっとも効果があるわけだが、「せっかく本人が更生しようと〔正業〕につくのを、暴力団にいたからとか前科があるというだけで許可を与えないというのはどうか」(新垣警本部長)ということになり、ここでは暴力団は “更生” をかくれミノに資金源を握っているかっこうだ。
暴力をのさばらせているのに、社会の無意識がある。こんどのように暴力団同士の争いだと「傷つけられるのもまともなものではない。やるだけやらせろ」といった考え方も一部ではきかれる。普天間での暴力団の殴り込みなど、白昼の商店街で、それも二度にわたって騒ぎがあったのに、警察がキャッチしたのは翌日になってからという例もある。取り締まり陣は「電話のひとつもあったら」とくやしがったというが、市民の鈍感さも見逃せない。ましてや、特飲街などの業者だと、お礼まいりをおそれて、不法行為もかくしているという気のつかいようだといわれ、暴力追放にはまだまだという感じさえする。
新垣警本部長は、「どんなささいなことでもよいから警察に連絡してもらいたい。お礼まいりなどがあるようなら、警官を常駐させてでも安全を保証する。暴力を取り締まれといっても、手がかりがなければ警察としてもどうしようもないのだから住民は、もっと協力してほしい※」と述べており取り締まり陣の立ち場から民警一致を強く呼びかけていることでもこのことはうかがえる(題字は新垣警本部長)
