高校野球はなぜ “改革” できないのか

8月6日から阪神甲子園球場で絶賛開催中の第105回全国高等学校野球選手権記念大会(主催:朝日新聞社、日本高等学校野球連盟)に関して、我が沖縄代表の沖縄尚学は11日の第一試合に三重県代表のいなべ総合と対戦します。

今年もブログ主はわが沖縄代表の初戦突破を信じて疑わないのですが、戦力分析などの紹介記事は置いといて、この時期になると散見される「高校野球改革論」について、ふと興味ふかいWEB記事を見つけましたので、高校野球の “矛盾” についてブログ主なりに言及します。

春夏の甲子園が多くの問題点を抱えながらも毎年絶賛開催されているのはご存じの通りです。そして大会の “改革” が遅々として進まないのもこれまた周知の事実ですが、実は高校野球の “矛盾” を唱える識者たちの時代錯誤な論説が改革を妨げる原因の一つになっているのです。参考までにプレジデントオンラインに掲載されたスポーツ文化評論家さんの “お気持ち表明” をご参考ください。

【玉木】「高校野球の日本一」「日本一の野球高校」を決めなければならない理由などないのですからね。

私は、高校野球で最も見苦しい行為は、大人の監督がサインを出して、高校生の選手を命令通りに、将棋の駒のように操って動かしていることだと思っています。作戦を考える、という野球で最も面白く楽しい行為を大人が奪ってしまって、高校生を好きなように動かしている。

高校野球なら作戦も高校生に考えさせてやらせるべきで、大人が奪い取ってはいけないですね。指導者は練習のときはグラウンドで指導しても、試合となるとネット裏で高校生たちのプレイを見守るべきですよ。

引用:大人の監督が高校生の選手をサインで動かす…「甲子園大会は野球の楽しさを奪っている」と私が考えるワケ

上記引用の太字の部分から、スポーツ評論家さんがいかに時代錯誤かつ高校野球の現場に “無知” であることをさらけ出しているのですか、つまりこのお方は昔も今も高校野球の現場は「軍隊式」であり、上下下達の精神がまかり通って、かつ子どもたちが自由に野球を楽しめる環境ではないとの前提にたって議論を進めているわけです。

ところが現代の高校野球の現場は、上記の評論家さんよりも3万歩は先にすすんでおりまして、現実に軍隊式のみの指導方法では野球部に有望選手は集まってこないのです。野球はゲームなので勝たないと面白くないわけですが、そのためには「事前に相手を研究し」「ベンチと選手たちの間で作戦を “共有” し」「試合では微調整をしながら大人(監督)が適切なサインを出し」「選手たちが作戦を遂行し」「試合に勝利する」のが一般的なんです。

そのため部活現場において、指導者たちが最も重点を置いているのが、生徒たちとの信頼関係を築き上げることであり、そうしないと作戦を “共有” できず、公式戦でチームが機能しなくなり、間違いなくゲームに負けてしまうのです。件の評論家さんは野球部の現場がいまだ旧日本軍もどきと思い込んでるようですが、そんな野球部では甲子園出場はおろか、地方大会でも勝ち進むことができない現実があるのです。

熱中症の問題についてもブログ主が記憶している限りでは2010年ごろまではそこまで喧しかったわけではありません。当時もっとも問題になっていたのは「投手の連投」であり、現場レベルで複数投手による継投がスタンダード化し投手のケガが少なくなったタイミングで「熱中症」が叫ばれるようになったのです。

つまりひとつの問題が解決の方向に向かったら、別の問題を出して高校野球の改革論を唱える輩が多すぎるのが現状であり、その手の輩の議論のレベルの低さが高校野球の改革を妨げている一因になっているのは否定のしようがありません。ハッキリいって。

高校野球は問題だらけである

との無意識の前提で “お気持ち表明” する輩よりも部活現場ははるか先を進んでおり、我々大人はそのことを認めつつ、余計な “お気持ち表明” は慎しみながら高校野球を見守るのが一番よいのではと思いつつ、今回の記事を終えます。