組織暴力団 – 火を吹く抗争 ① 過熱する銃撃戦

再び火を吹く暴力団抗争事件。「殺(や)られる前に殺れ」「殺やれたら殺り返せ」とばかりに短銃を乱射、抗争事件に全く無関係な一般市民をふるえあがらせている。ビルの事務所に実弾が撃ち込まれたり、民衆をねらい撃ちするなどその傍若無人の武力抗争はエスカレートするばかりだ。ところかまわず乱射する凶弾に市民が巻きぞえ食わないとだれが保証できるだろう。頼りとする警察の「暴力団壊滅作戦」も後手続きで効果はさっぱり。市民の不安はつのるばかりだ。この狂気の抗争はいったいいつまで続くのだろうか

ことし11回も / ホテル、住宅所選ばず

相つぐ発砲事件に琉真会のアジト近くに住む市民は恐怖におののきながら毎日を暮らしている。「本当に恐ろしくて。これは暴力団アジト近くに住んでみないとわからないですヨ」と訴える。このところ発砲事件は繁華街から住宅地の首里一帯にまで発展、文教の街、古都の街と言われた首里は暴力団の戦場と化しつつあるのが実情だ。

ことしに入ってから暴力団による発砲事件は実に11回も発生している。さる3月4日未明、那覇市久茂地の琉真会アジトに乗用車でアジト前に横づけした旭琉会組員がコルト45口径短銃2丁で9発をぶち込んだのが皮切りだった。昨年暮れ、上原組が、そして琉真会が本土広域暴力団山口組直系の大平組杯を交わし、旗揚げ、旭琉会と反目していた。それが3月4日の発砲事件に発展、旭琉会対上原組と琉真組連合は戦争状態へと突入していく。

過去の抗争事件と同じようにいったん発砲事件が起こると後は坂道をころげ落ちるように抗争事件はエスカレートしていった。3月4日の発砲事件に続いて4日後の8日、再び琉真会アジト近くで琉真会組員の乗用車が旭琉会組員の乗る車に追跡され、発砲された。

琉真会アジト近くに住む住民が琉真会追い出しの動きをみせた3月17日、旭琉会はアジト近くの民衆をねらってコルト45口径の引き金を引いた。住民運動をたきつける目的の発砲だった。

続く3月24日夜、那覇市首里にある一流ホテル「グランドキャッスル」ではち合わせになった旭琉会と上原組が追跡劇を展開、本土からの観光団をふるえあがらせ「暴力の島・沖縄」を印象づけるなど県民に大きなショックを与える事件が発生した。

その後も暴力団の発砲事件は相次いで発生。これまでは単におどしをかけるがための威かく発砲に過ぎなかったが5月14日夜、琉真会アジト近くの久茂地で起きた発砲事件は、様相を一変、相手を殺害するねらいで短銃が乱射された。琉真会組員2人が胸や首などに数発のタマをあび重傷を負った。この発砲事件から旭琉会の攻撃は質的に変わり、圧倒的に力で勝る旭琉会が上原組・琉真会の皆殺し作戦に打って出た。

4日後にこのことは上原組組員1人が旭琉会組員に撃ち殺されることで裏付けられた。5月18日未明、那覇市牧志町で上原組組員2人が来る白のカローラに2丁のコルト45口径が火を噴いた。8発のタマがカローラに撃ち込まれ、1人が即死、もう1人もひん死の重傷を負った。これと同時に那覇市首里石嶺でも上原組の車2台が旭琉会2台の車に襲われた。旭琉会の一斉攻擊開始だ。

この2件の事件の後、旭琉会と上原組が殴り合い、上原組の大黒柱、上原秀吉(37)組長が逮捕されるというハプニングまで加わり、両派の対立抗争はますますエスカレートする動きを見せている。そして19日には上原組・琉真会の上部団体である山口組直系・大平組の組員34人が大挙沖縄入りする騒ぎが起った。県警の説得が功を奏し。この本土暴力団34人は「また、いつでも乗り込んでくる」とすてゼリフを残してその日のうちに大阪に帰った。本土暴力団の大挙来島は代理戦争をも引き起こしかねない。それだけに県民の不安はつのる。(昭和52年5月20日付琉球新報11面)

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