【沖縄の高校野球外伝】糸満伝説 – その1

今回は “沖縄の高校野球外伝” と題して、県内最強のネタ校である糸満高校野球部の歴史を紹介します。高校野球には “ネタ校” と呼ばれる学校があり、不思議なことに必ずと言っていいほど絶妙のタイミングでやらかしてしまいます。本土での代表は霞ヶ浦高校(茨城)でしょうが、我が沖縄では糸満高校がぶっちぎりの1位として君臨してます(ちなみに2位は我が宜野湾が誇る中部商業野球部)。

ブログ主は縁あって2009年から今年までの歴代のチームを見ることができましたが、今回は備忘録として糸満伝説をアップします。高校野球好きの読者の皆さん、是非ご参照ください。

2008年9月 秋季沖縄大会2回戦(vs名護)。この試合がたしか宮國君の公式戦デビューだけど、延長15回、雨の中断ありの長いゲームとなり、15回表に名護高校に勝ち越され、2-1で敗北。糸満伝説はこの試合から始まる。ちなみにこの時の名護高校の監督はかつて宜野座旋風を巻き起こした奥浜正さん。

2009年4月 春季九州大会初戦(vs鹿児島商)。春季大会でベスト4に入り、県内開催の九州大会に出場も、5-1で敗北。実はこの試合から2014年の秋季九州大会まで糸満は県外公式戦で負け続ける。

2009年7月 第91回全国高校野球沖縄大会2回戦(vs前原)。途中3-1でリードも終盤に先発宮國くんが打たれて4-3と逆転される。ただし糸満は9回表に2死2塁で代打くんが渾身のセンター前ヒットを放つも2塁ランナー本塁憤死でゲームセット。ちなみにブログ主はこの試合を現地観戦し、この日から糸満高校を要チェックするようになる。

2009年9月 秋季沖縄大会準決勝(vs嘉手納)。勝てば九州大会出場も、先発宮國くんが不調で3-2で敗北。

なお勝った嘉手納高校は九州大会を制覇し、神宮大会&センバツ出場の快挙を成し遂げる。

2010年4月 春季沖縄大会決勝(vs小禄)。上原忠監督就任後、念願の優勝を果たす。だがしかし10日後に開催されたチャレンジマッチで甲子園に出場した2校(興南、嘉手納)についうっかり連敗してしまう。

2010年4月 春季九州大会1回戦(vs飯塚)。2年連続九州大会出場も、8-1で負けてしまう。敗戦の翌日ナインがホテル前を懺悔の清掃をして帰沖するよく分からないエピソードもあり。

2010年7月 第92回全国高校野球沖縄大会決勝(vs興南)。夏の大会は猛打で決勝まで勝ち進むも、先発宮國君が7回裏に興南打線につかまり8失点。結局9-1で負けてしまう。

2010年9月 秋季沖縄大会2回戦(vs宮古)。初戦(vs辺士名)、15-0で猛打を見せつけるも、宮古高校との試合では乱打戦の結果9-7で負けてしまう。なおこの試合に神里和毅君が出場(ブログ主がはじめて神里君を見た試合)。

2011年4月 春季沖縄大会決勝(vs嘉手納)。見事春季大会2連覇を果たす。だがしかし九州大会で当時最強だった鹿児島実業と初戦で対戦し8-5で敗れてしまう。

2011年7月 第93回全国高校野球沖縄大会決勝(vs中部商業)。県内ネタ校ビッグ2の決勝。試合は2-1で糸満が優勝し念願の甲子園初出場。なお、この時の中部商業の負けっぷりは美しいの一言(9回表1死満塁で中部商業の多和田真三郎君がピッチャーゴローゲッツーで負けた)。

2011年8月 第93回全国高校野球選手権大会1回戦(vs英明)。英明高校のエース松本竜也投手の前に成す術もなく4-1で敗北。ブログ主もTV観戦しましたが、松本投手がすごすぎてドン引きした試合。

だがしかし松本投手は後にドラフト1位で巨人に入団し宮國君とチームメイトとなり、最後はスキャンダルでチームから追放

という予想の斜め上をいく末路を辿る(この面子はもしかして…ww)。

2012年10月 秋季沖縄大会決勝(vs知念)。準決勝で新人戦優勝の浦添商業に打ち勝ち(8-6)、決勝も4-3で勝利し見事優勝し、

なんと1月の競技会1位、4月の春季大会優勝、7月の選手権決勝優勝、10月の秋季大会優勝のグランドスラムを達成する。

2012年10月 秋季九州大会2回戦(vs福工大城東)。2回戦から登場の糸満高校は2-1で負け、

春、夏、秋の県外公式戦ですべて初戦敗退というアンタッチャブルレコードを打ち立てる。

2012年から2013年は低迷期でこれといったエピソードなし。2014年のチームが春季大会で優勝後に糸満伝説が再開します(続く)。

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