ご都合主義

今月24日に実施された「辺野古米軍基地建設のための埋立の賛否を問う県民投票(以下県民投票)」も無事終了し、有権者数 1,153,591 人に対する投票率が 52.48%、そのうち「反対」が 72.2% という結果が出ました。

県民投票条例によると、「本件埋立てに対する賛成の投票の数又は反対の投票の数のいずれか多い数が投票資格者数の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない(第 10 条 2)」、「前項の規定する場合において、知事は、内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し、速やかに県民投票の結果を通知するものとする(第 10 条 3)」と規定されてますので、今回の結果を踏まえて玉城デニー知事は県民投票の結果を安倍首相およびトランプ大統領に伝えなければなりません。

ただし、県民投票は単に地方自治法第 74 条の規定に従って請願活動をした団体が正当な権利を行使しただけの話ですから、日米両政府の首脳に結果を伝えたからといって情勢が変化するとは思えません。今回の結果はあくまでも「参考値」ですし、ブログ主も「無事終わってよかった」ぐらいの感想しか持ち合わせていません。

ただしひとつ不愉快なのは、今回の結果を受けて「民意」を都合よく解釈する輩が大増殖していることです。一例を挙げますので読者の皆さん、是非ご参照ください。この手の”ご都合主義”が近代デモクラシーにとっては最悪のガンであることをご理解いただくと幸いです。

平成30年2月5日付沖縄タイムス【記者の目】

名護市長選 陰の勝者は安倍政権 陰の敗者は…

名護市長選の陰の勝者は、安倍政権だった。そして陰の敗者は、この国の民主主義だった。

直前の世論調査でも、市民の3分の2が辺野古新基地建設に反対している。それでも稲嶺進氏が落選したのは、工事がじりじりと進んだことが大きい。市民は実際に止められるという希望が持てなかった。

稲嶺氏は公約を守り、民意を体現して阻止に動いてきた。日本が民主主義国家であるなら、工事は当然止まるはずだった。

安倍政権は、既成事実を積み重ねて市民の正当な要求を葬った。民主主義の理想から最も遠い「あきらめ」というキーワードを市民の間に拡散させた。

稲嶺氏の2期目が始まった 2014 年に辺野古の工事に着手。抗議行動を鎮圧するため本土から機動隊を導入し、16 年の東村高江では自衛隊まで使った。

力を誇示する一方、辺野古周辺の久志3区に極めて異例の直接補助金を投入した。今回の選挙直前には、渡具知武豊氏が当選すれば新基地容認を明言しなくても再編交付金を出すと言いだした。何でもありなら、財源を巡る政策論争は成り立たない。

安倍政権は名護の選挙の構図自体を4年かけて変え、市民から選択の余地を奪った。大多数の国民がそれを黙認してきた。

渡具知氏も「辺野古の『へ』の字も言わない」という戦略で、暮らしの向上と経済振興を語った。市民は反対しても工事が進むならせめて、と渡具知氏に希望を託した。基地問題からは、いったん降りることにした。それを責める資格が誰にあるだろう。

民意を背負えば、小さな自治体でも強大な権力に対して異議申し立てができる。沖縄に辛うじて息づいていたこの国の民主主義と地方自治は、ついにへし折られた。(北部報道部・阿部岳)

平成31年2月25日付沖縄タイムス<大弦小弦>

名護市の投票所は小雨に包まれ、人影が少なかった。24 日午後、県民投票で訪れた男性(57)は「静かすぎてびっくりです」と辺りを見回した。1997 年の名護市民投票とは様変わりだ

‣あの時、投票所入り口は辺野古新基地建設に条件付き賛成と反対、両派の訴えで騒然としていた。何より、政府が全力で勝ちにきていた。防衛庁の職員が個別訪問に回り、長官は自衛官に文書で集票を求めた

‣なぜ今回は静観し、「県民の理解」を求める絶好の機会を放棄したのか。菅義偉官房長官は「地方公共団体が条例に基づいて行うもの」と言うが、それは市民投票も同じだった

‣基地建設に合理性がなく、議論では勝ち目がない。政府がそう認めたに等しい。「不戦敗」に追い込んだこと自体、21 年余りの間に県民が蓄えた力を示している

‣そして論戦が成立しない中でも過半数が足を運び、昨年の知事選を上回る反対の票を積み上げた。県民の意思は最終結論が出た

‣24 日夜、反対を訴えてきた県民投票連絡会の名護支部。市民投票の時のはじけるような万歳はなく、穏やかに結果を喜び合った。参加者は「賛成派に勝った、万歳、ではない」「本当の相手は政府。県民が一緒になって向き合っていく」と語った。何度裏切られても諦めない、不条理に鍛えられてきた民主主義の言葉があった。(阿部岳)

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