“りうきう民族論” の正体

本日ブログ主はひさびさに首里城公園を散歩しながら “りうきう民族” について思索してみました。Wikipedia によるとりうきう民族は「かつて琉球王国(琉球國)の領域に相当する沖縄県の沖縄諸島と先島諸島、鹿児島県奄美群島に住む人々を、言語、生活習慣、歴史的経緯等から、独自の一民族であると定義した場合の集団である」とあり、あくまで “仮説” として記載されています。

ちなみに民族とは “対概念” であって、つまり「何かに対して初めて存在する考え方」になります。例えばこの世界で沖縄本島のみ人類が存在すると仮定した場合、そこに住む住民たちは比較対象が存在しない以上、「自分たちはりうきう民族である」との概念は起こり得ません。

参考までに宗教は “絶対概念” のカテゴリーに属します。たとえばキリスト教もイスラム教も「それ自体が独立して存在」しており、他宗教(あるいはイデオロギー)と比較する必要がありません。だから現代でも宗教は民族を超えた存在であり続けるのです。

ただし我が沖縄では対概念にしか過ぎない “りうきう民族” を絶対的なものと考えて歴史を叙述する傾向があり、琉球独立や自己決定権を唱える輩にその傾向が強いです。だから彼らの主張はイデオロギー色が極めて強く、一般社会から遊離している感が否定できません。

ではなぜ我が沖縄では民族の概念が絶対のものとして捉えられてしまうのか。その淵源は伊波普猷先生の一連の著作にあります。明治44年(1911)発刊された『古琉球』は我が琉球・沖縄の歴史においてはじめてりうきう民族の存在を前提に記された史書であり、当時の沖縄県人に多大な影響を及ぼしました。参考までにその一人に仲宗根源和さんがいます。

偉大なる伊波先生の著作の難点は、対概念にしかすぎない民族を絶対的なものとして取り扱っていることです。問題は後世の歴史学徒たちが、伊波先生のりうきう民族論を無批判のままに継承しているのです。これが我が沖縄における歴史認識の最大欠点なのです。

しかも令和の今日のりうきう民族論は「反米・反日」がベースになっています。伊波先生の想定したりうきう民族は「日本民族のなかの琉球民族」との定義で、中国大陸と距離を置くことが主題のひとつでした。だがしかし現代ではその設定が捨てられて、「我々は差別されてきた」との被差別民族としてのりうきう民族論が幅を利かせています。

繰り返しますが民族はあくまで対概念です。となると現在の “りうきう民族論” は仮想敵として日本やアメリカが存在して初めて成り立つ極めて脆い概念と言わざるを得ません。もちろんアメリカや日本が民族派の都合のいいような事件を起こすとは限りません。だから口汚く日本や米国の過去の悪行を叙述しないとやっていけない現状があります。つまりりうきう民族論は嵌ればはまるほど、

人としての品格が落ちる

という致命的な欠陥を内包しており、それゆえにブログ主は民族の実在を前提とする歴史認識には反対の立場を取っているのです。

もちろん偉大なる伊波先生や歴史学の先輩たちの業績を否定するつもりは毛頭ありません。伊波先生の天才によって我が沖縄の歴史学がスタートした事実は絶対であり、先輩たち実績があるがゆえに当運営ブログは成り立っています。だがしかし、先人たちの偉大なる業績を “反日・反米としてのりうきう民族論” に利用することは断じて許すことができません。そして対概念と絶対概念の区別もつかない輩がドヤ顔で民族論を唱えている悲しい現実を嘆きつつ、今回の記事を終えます。

SNSでもご購読できます。