交通解消難にモノレール

今月1日に浦添市まで延長された沖縄都市モノレール(ゆいレール)に関して、同日の沖縄タイムス27面に仲本安一(なかもと・あいち)さんのインタビュー記事が掲載されました。

ゆいレールに関するエピソードでは必ず名前が出てくるのが高良一(たから・はじめ)さん、平良良松(たいら・りょうしょう)元那覇市長、そして西銘順治元県知事あたりですが、参考までに10月1日の沖縄タイムスの記事一部を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。

モノレール「生みの親」元那覇議長の故高良さん

半世紀前に構想 光る先見の明

10月1日から浦添市まで延長される沖縄都市モノレールの導入を最初に提唱したのは、実業家で那覇市議会議長を務めた高良一さん(1994年死去、享年86)だった。1960年代初めから自費で調査研究を進めて構想を打ち上げるが、巨額な事業費の壁にぶち当たる。日本復帰を3年後に控えた69年、「行政の力で実現させてほしい」と高良さんから橋渡し役を託された仲本安一さん(84)= 当時那覇市議、元社大党委員長 = は「高良さんはホラ吹きとも言われたが、先見の明があった。彼がいなければ沖縄のモノレールはなかった」と、半世紀前の出来事を懐かしそうに振り返る(中略)

引用:令和元(2019)年10月1日付沖縄タイムス27面

参考リンク:沖縄のモノレールの“生みの親”は、県内を代表する「ホラ吹き」だった【WEB限定】

上記の記事(および沖縄タイムス+プラスのWEB限定記事)に興味をもったブログ主は、沖縄県立図書館を訪れて高良さんが寄稿したモノレールに関する論文『交通解消難にモノレール』(米国民政府広報誌『今日の琉球』1965年第9巻7号)をコピーしてきました。いま見ると一部突っ込みどころはありますが、この論文を読むと彼が真剣にモノレールの導入を考えていたことがよく分ります。

補足すると、昭和40年当時は新聞に”輪禍”というワードが頻繁に登場するほど交通事情は悪化していたため、車やバスに代わる輸送機関の導入が検討されていたことと、あと高良さんが経営する”中城公園”の観光振興のためちゃっかり北中城を経由する計画を思いついたところが実に面白い。想定していたモノレールのルートも「那覇空港を起点として、浦添、宜野湾、北中城、コザを経て具志川、安慶名が終点」と記載されていますので、昭和40年当時の人口密集地帯が伺えて非常に興味深い内容となっています。

余談ですが、沖縄タイムスプラスのWEB限定記事に長女の渡口初美さんのインタビューも掲載されていますが、(インタビューアの空気を読んだ)彼女のコメントがツボにはまりました。下記引用をご参照ください。

高良さんの長女で、料理研究家の渡口初美さん(84)は「娘の私が言うのもなんですが、本当にスケールの大きい政治家でした。今はそんな人はいない。もっと高良一のことを知ってほしい」としみじみ語りました。

「一つだけ言わせてもらってもいい。(モノレール導入の)恩人なのに招待状も届かないのよ。せめて無料乗車券ぐらい持ってきてもいいと思わない」。やはり最後は、父親譲りの歯に衣着せぬ口ぶりでした。

彼女に負けず劣らず、おそらく父の一さんも機転の利いた賢い人物であることが想像できます。『今日の琉球』の論文全文を書き写しましたので読者の皆さん、是非ご参照ください。

交通難解消にモノレール

那覇 – コザ間はわずか十五分 高良一

那覇市議会議長高良一氏は日ましに悪化する沖縄の交通事情を解決するキメ手の一つとしてモノレールの建設計画を進めています。次の記事はわたくしたちにとって重要な意義をもつ諸問題を討論する読者の広場としての「今日の琉球」に寄せられた高良氏の意見です。ただし、これは高良氏の企画によるものです。 – 編集部 –

空中にささえらえた一本線の上をゴウ・ストップもなく走るこれからの鉄道 – これが現在の行きづまった交通事情を打開するモノレールです。

モノレールのモノはギリシャ語から出た「ひとつ」を表す言葉で、これとレールとが組み合わされてモノレール(Monorail)となったものであります。

最初パルマーがロンドンに馬で引くモノレールを作ったのは一八二四年ですが、スティブンソンが蒸気機関を作ったのが一八二五年ですから、歴史的には殆ど同じころに開発されたことになります。

それにもかかわらず、普通鉄道に比較して、今までたいして普及や進歩がみられなかった理由はおもに地面を走る普通鉄道のほうが、支柱の上を走るモノレールより技術ならびに経費の面において、容易であったからです。

モノレールの型式には、跨座式と懸垂式がありますが、跨座式のうち西独で開発されたアルウェグ式モノレールが実用化されており、一九五二年より一九五八年にわたり実験結果された後、小規模ではあるが、ディズニーランド(米)、トリノ(イタリア)、シヤトル(米)において建設されています。また日本において日立製作所が、これと技術提携し、犬山モノレール、読売ランドモノレールにつづいて、延長十三・一キロメートルという世界最大の本格的な都市交通機関としての羽田空港 – 東京都心間のモノレールを昨年の九月に完成し、きわめて円滑な輸送を行っており、今後の都市交通機関のモデルとして全世界の注目を浴びています。

現在運輸省に提出されている路線免許申請は数多く、つぎつぎに許可されています。アルウェグ式としては熱海モノレール、大船モノレールが許可を受け、ロッキード式としては姫路市、成田市、向ガ丘遊園地の各モノレールが許可を受け建設の段階に入っています。

このように世界における文化都市を中心としてモノレール建設に取り組むようになった理由は近年都市の大部分は人口の集中と自動車の激増のため、多かれ少なかれ交通難の現象を呈し、その解決を迫られ、多くの都市交通学者によって研究され、議論された結論が都市内の交通はもはや道路と自動車によっては解決されず、大量高速交通機関によらなければならないということであります。

この結論にしたがって、日本本土では運輸省、国鉄ならびに大都市ではモノレール建設促進のための調査研究委員会を設置して、モノレール建設に努力しつつあります。例えば市電を撤去してモノレールに切り替える調査研究がなされています。地下鉄は理想的な都市交通機関とされていますが遺憾ながらそのぼう大な建設費を要するため、経済的には採用されないのが現状であります。

沖縄の本土も例外でなく、特に那覇市を始め宜野湾市、コザ市、具志川などは年々急速な人口の集中、自動車の激増に伴い、現在の道路や交通機関だけでは、交通難を解決することはできない麻痺状態であります。

そのうえ毎日マスコミで報道される交通事故におびえ、車両の質は年々向上していくにもかかわらず、走行速度は遅くなっていきます。そのため国際通りや一号線では車に乗るよりは歩いたほうが早いという奇妙な現象が生じつつあります。いま、抜本的緩和策を講じなければ後世に悔いを残すことになるでしょう。モノレールはこの状況下において都市交通難解消策の決め手として大きくクローズアップされてきたのであります。モノレール建設は交通難緩和対策に役立つだけでなく郊外から都市部への通勤を可能にするので住宅難の解消に役立ち、さらに観光施設として役立つことになり、一石三鳥の役目を果たすことになります。このモノレール建設計画は北九州市に見られるような広域都市を促進し交通および住宅難を一気に解決し、さらに観光施設に寄与するという一石三鳥をねらう公共性の強いプランであります。

西銘那覇市長もこのプランに全面的に賛成しており、那覇市建設部では、都市計画の修正案を都市計画委員会に提出する予定ですが、同修正案では、広域都市計画を前面に打ち出し、新しいビジョンで都市づくりに本腰をいれることになっています。また関係市町村にも呼びかけ調査研究委員会を設置しているほか、去る四月十二日上京して運輸省、日立製作所、日本通運等の関係筋に沖縄のモノレール建設について打診したところ、非常に協力的であり、日立製作、日本通運、伊藤忠商事から技術者五名を無償で派遣し、十日間にわたる現地調査のうえ建設費の概算を算出するという約束を得ております。

このモノレール建設が実現すると那覇空港を起点として、浦添、宜野湾、北中城、コザを経て具志川、安慶名が終点になります。那覇 – コザ間をタクシーで四十分かかるのを、モノレールでは十五分程度で行けるということになります。

最後にアルウェグ式モノレールの都市交通機関としての適応性を列記いたします。

⑴ 道路の新設・拡張のもっとも隘路である用地取得の困難性を除去し、道路上に極めて細い一本支柱によって建設するので、もっとも高価な価値のある道路面を二倍に効果を発揮させることができる。

⑵ 道路交通にもっとも支障をきたす平面交差を排除し、道路とは、すべて立体的に分離し、他の交通機関と関係なく、互に妨害することはない。

⑶ ゴムタイヤを使用するので、加速、減速が強力にでき、列車の平均速度が高くなると同時に騒音も少ない。

⑷ 組み立て式路線では工期が短くまた建設費が安くなる。

⑸ 輸送力は一時間一方向五万人も可能である。

⑹ 脱線の心配がなく、普通鉄道や道路交通のような事故の心配がない。

⑺ 地上上空を運行するため視界は広く快適でゴムタイヤの使用と精度の高い軌道により乗り心地は極めてよい。( 那覇市議会議長 )

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