命あってのアイデンティティ その2

8月8日の翁長雄志氏の逝去に関連して、同月14日の沖縄タイムスに佐藤優氏の論説が掲載されていました。今回は「命あってのアイデンティティ」の第2弾として当ブログにて全文を紹介します。この作文を読んだとき真っ先に思い付いたのは、同月4日の琉球新報にて「沖縄人の矜持 翁長氏は知事選出馬を」という論説を発表した手前、何か弁解しないといけない佐藤さんの”おとなのじじょう”です。(自称)沖縄人って大変だなと思いつつも、ブログ主はこういう輩に囲まれたことが結果として翁長氏の寿命を縮めてしまったのではと疑わざるを得ません。

今回発表された作文のなかに、

翁長氏は、「ヤマトの政治家や政党の思惑で、沖縄が保守と革新に分断されるような状況は、僕の世代で終わりにしたい」と述べた。私も翁長氏の考えに全面的な共感を覚えた。

との記載がありますが、たしかに沖縄が保守と革新に分断されるような状況は終わるでしょう。ただしそれは革新が崩壊する形で終わること間違いありません。近い将来、沖縄が保守一色で塗りつぶされた時に、佐藤さんが「僕は沖縄人です」と堂々と主張できるのか、おそらく旧革新勢力の18番である”そんなことはなかったこと”にするのか、あるいは”不利なエビデンスは徹底的に隠す”かのどちらかと予想しつつ今回の記事を終えます。


平成30年(2018年)8月14日 沖縄タイムス文化(14)

翁長知事との思い出(作家)佐藤優 沖縄人を統合する象徴 – 自己決定権に強い思い

8日、翁長雄志知事が膵がんのため逝去された。67歳だった。辺野古新基地移設をめぐる中央政府との軋轢が翁長氏の生命を文字通り縮めたのだと思う。最後の瞬間まで、翁長氏は沖縄に対する構造的差別の象徴である辺野古新基地の建設に抵抗した。まさに闘いの中で倒れたのだ。

沖縄県知事には、他の都道府県知事とは異なる特別な性格がある。知事は民主的選挙によって選ばれた県民の代表であるばかりでなく、私のような日本に在住する沖縄人、さらに全世界に住む沖縄人も代表する象徴的地位を持っている。翁長氏は、沖縄人としての強い自覚を持ち、歩きながら考えていくタイプの政治家だった。私自身も翁長氏との交遊を通じ、自らのアイデンティティーが、日本人から沖縄人へと変容していった。

知事に就任してそれほど時をおかずに私は翁長氏と東京でゆっくり話をしたことがある。そのとき翁長氏は、沖縄の自己決定権を回復しなくてはならないと強く思ったのは、2013年1月27日の「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」実行委員会による「NO OSPREY東京集会」のデモ行進の現場においてでだったと述べた。

私もこの集会に参加した。日比谷公園から銀座までデモが行われたが、沿道に旭日旗が立てられ、「非国民は日本から出て行け」「オスプレイを沖縄に配備せよ」と街宣車が叫び、それに応じて騒ぎ立てる人々がいた。中国の国旗を振って、あたかもこのデモを中国が応援しているかのような演出をしている人もいた。人数としては200人足らずだったと思う。ヘイト活動の対象に沖縄と沖縄人がなっていることを私たちは皮膚感覚で感じた。

「佐藤さん、銀座通りでデモをする中で、私は日本がすっかり変わってしまったという感じがしたんです」

「確かに、あの種のヘイト活動が沖縄人に対して向けられることはこれまでなかったと思います」

「ひどい妨害活動だったけど、僕がそれよりも驚いたのは、銀座を歩く本土の人々の無関心です。一昔前ならば、あのようなヘイト活動に対して、文句を言う人が沿道に必ずいた。しかし、今では皆な見て見ぬふりをしている。日本人の沖縄に対する意識が冷淡になっている。僕はあのときに自分たちの身は自分で守らなくてはならないと強く思うようになったんです」

翁長氏は、米軍基地の過重負担を沖縄に押しつける中央政府の閣僚、官僚、国会議員だけを相手にしていても問題は解決しないと考えていた。むしろより深刻なのは、この状況を容認している日本人全体を無意識のレベルまで支配している沖縄に対する差別意識だというのが翁長氏の認識だった。翁長氏は、「ヤマトの政治家や政党の思惑で、沖縄が保守と革新に分断されるような状況は、僕の世代で終わりにしたい」と述べた。私も翁長氏の考えに全面的な共感を覚えた。

辺野古新基地建設の問題以外では、教育について翁長氏と話すことが多かった。沖縄が強くなっていくためには、琉球語を回復し、琉球・沖縄史について正確な知識を沖縄人が共有することが不可欠と翁長氏は考えていた。「基地問題が一段落したら、ウチナーグチの回復に取り組みましょうね。今は辺野古問題に多くの時間とエネルギーを割かざるを得ないけれど、沖縄の未来にとって最も重要なウチナーグチの回復や文化の興隆にもっと力を入れたい」と翁長氏は何度も私に述べていた。

第2期翁長政権では、琉球語の正書法を定め、日本の中央政府との間で沖縄が締結する合意文書が等しく正文である琉球語と日本語で書かれるようになる基盤を整えることができると私は考えていた。

今年に入ってから、翁長氏と電話で話すときに、必ず話題に出たのが、前知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回するタイミングの問題だった。翁長氏は、「このカードは1回しか切れない。それだから、沖縄にとって最も効果的なタイミングを研究している」と述べていた。

そして、7月27日に、翁長氏は、埋め立て承認を撤回する手続きに入る方針を表明した。翁長氏はリアリストだ。沖縄に対する差別構造は日本の司法にも組み込まれている。それだから、日本の裁判所が沖縄の民意を踏まえた判断をするという幻想は持っていなかった。

しかし、中央政府が設定した土俵であっても沖縄の民意を訴えていくことが沖縄人の利益に適うと考えていたのだと思う。司法判断が沖縄として受け入れられない場合、翁長氏は「妻とともの辺野古で座り込み、抵抗する」と言っていた。翁長氏の生き方は、沖縄人の間で世代超えて語り継がれていくことになる。

翁長雄志知事、お疲れさまでした。あなたは永遠に沖縄と私たち沖縄人を統合する象徴です。ニライカナイから私たちを見守って下さい。

 

 

 

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