大正六年の沖縄の野球 – 沖縄一中のチーム紹介

令和2(2020)年3月19日に開催予定の第92回選抜高等学校野球大会(以下センバツ)は、ご存知のとおり新型コロナウィルスの感染拡大により開催中止となりました。

そこで代わりと言っては何ですが、今回から数回に分けて大正6(1917)年9月に我が沖縄で開催された野球大会の記事を掲載します。ブログ主も始めて目を通した新聞史料(琉球新報)ですが、これが実にじわじわくる内容でしたので、必要分をコピーしてチェックしました。先ずは沖縄一中(沖縄県立第一中学校=現沖縄県立首里高等学校)のチームおよび選手紹介全文を書き写しました。

新聞史料を書き写すに当たって、記事のじわじわ感を損ねないように原文に近い表記を心がけました。具体的には旧漢字は訂正せず、必要に応じて句読点を配置しています。野球好きの読者の皆さんぜひご参照ください。

本社主催第二回縣下野球大會彙報

本社主催第二回縣下野球大會は愈々來る八日九日の兩日間潟原(かたばる)に於て擧行する事に決定し、一昨日其の打合せ會を本社に於て開催したるが、此處には大會參加の各チームの軍容に就いて記載すべし。

▲一中野球團 ▽第一回に覇權を握れる

一昨年までは左程振はなかつた一中野球部は昨年は塚田運動部長、本年は岩井運動部長の兩敎師によりて其懇篤なコーチと選手諸君の熱心とによって技量メキゝと上達して昨秋は本社主催縣下野球大會に勁敵(=强敵)

▲天狗軍及び 必勝を期して攻入りし商校(=那覇区立商業高校)の野球部を物の美事(=見事)に擊破して最優勝の月桂冠を戴き、現今縣下野球界の覇者となつて居る。本年四月投手三壘手の退くに及んで屋宜、山本を以て其欠を補ひ何時でも外敵に當る準備をして居る。而して本社大會の來る八日九日に擧行せらるゝ報を得るや鄕里へ歸省して居た岩井

▲運動部長は 直に歸校し各選手又旅行先より歸つて猛練習を潟原で開始したが〔チームワーク〕攻擊等昨秋よりグツと上達し黄金時代を歌はふとして居る。先ず投手としては左翼手であつた强肩の前田プレートに立ち其怪腕に敵の打擊を封じやうとし、相手(=捕手)には熱心によつて練り上げられた比嘉を配てゝ居る。而して一壘には目下病床にあるけれども大會迄に全治したら出塲すると力んで居る嘉手納(弟)長身を利して立たふとし(若し全治しなかつたら荒武補欠出塲する筈)、二壘には嘉手納(兄)が先に二中との

▲試合に演じた 樣な快技で猛打を防がふと立ち、三壘には元氣潑溂の渡嘉敷が居る。最難關と稱せられて居る遊擊には短身者ではあるが投補確實、飛燕の樣な働きをする主將石川があり、左翼中堅には新進氣銳の屋宜山本扣(ひか)へ右翼には五体他を壓す所の强肩者又吉見張て居る。其守備の堅い事は金城鉄壁の觀があつて本年も各チームを蹂躙して再び優勝を期し意氣軒昂である。因みにメンバーは左の通り(大正6年9月4日付琉球新報2面)

前田
比嘉
嘉手納(弟)
嘉手納(兄)
渡嘉敷
石川(主将)
屋宜
山本
又吉
永山
十一 大塚
十二

荒武

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