ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その29

□音楽への取り組み方 普通のミュージシャンは、あーしよう、こうしようと練習をやるんですけど、私の場合はやらなさすぎるんじゃないかな。私の場合は、なんかやっても無理というか、練習やったらその練習したものが崩れていくから、「あんたはもう練習しない方がいい」とみんなからいわれるんです。

音楽の演出については、私のやっていることは賛否両論じゃないですか。見ている人、あるいは関係者によっては、恨んでいる人もいるかもしれませんね。

中野サンプラザのデビューコンサートは、沖縄で念入りに考えて、こういう具合に演出するからこうしてこういのを準備してくれって、沖縄で作って持っていくわけにはいかないので、こんな大きなまな板とかハブとかをむこうの事務所に準備させてセッティングさせたんです。

□ブロークンイングリッシュ 最近、あの当時、二二、三歳だった兵隊さんの子どもたちが沖縄に来ていて「あんた、私のお父さんがいってたよ。沖縄に行ったらあの髭の男がいるから、コンディショングリーンというバンドを探して行っておいで」とか、「たいへんなバンドがあるって、お父さんから聞いてきたよ」というのがたくさんいるんです。

だから、あの二三歳だった当時の兵隊の子どもを相手に、私は演奏をやっているわけです。話が合いませんから、年取ったなと思いますよ。

軍人は国家公務員ですが、今は兵隊でありながらサラリーマンみたいになっているし、男性でもお洒落もするし、三K(きつい、汚い、危険)というのは嫌がるし、すぐ戦争がおきたら逃げるんじゃないかなと思うぐらい、そこまで心配ですよ。また死んだふりするとかさ、そういうのはたくさんいるかもしれないよ。

私が今つき合っている嘉手納基地の友だちは、あの人たち(当時の兵隊)の子どもですが、今でもずっと、あの時からずっと、常に一緒にいるわけです。

本国に帰ったとか、帰らなかったとか、次帰ると泣いたりするものもいますし、またその子どもたちが次から次に来ます。帰国するときに彼らは「必ず来てよ、必ず」といってくれますが、私は「行くよ、行くよ」といいながら、どこにも行っていませんね。逆に彼らの方が「おまえ来なかったからまた来るよ」と沖縄に来る人もいます。

ウチナーンチュ(沖縄人)は、二〇歳から二五、六歳の若いお客さんが来ますけど、彼らには演奏してもバカにされているのか、褒められているのか、わからないんですよ。そういうお客さんがたくさんいます。

私の場合、日常的なつき合いでもアメリカ人とのつき合いの方が多いですね。ウチナーンチュよりもアメリカ人との方が理解できるというか、スッと入れるんですが、だけど、あまりにもむこうがアメリカ人すぎると、こっちはウチナーンチュになるんですよ。

日本でみんな「万歳、万歳」するので、それで沖縄は初めてで、日本から来てなんでも万歳万歳する人たちもいて、万歳冷蔵庫、万歳ベッドみたいにそこまで冗談をいうんです。

ですから、「イッター・ヤー、タマネー・カンゲー・レー・ヒャー(おまえたち、たまにはよく考えれよ)。これ万歳ツリー、これは万歳とはいわない、これはヤシの木というんだよ、万歳ツリーじゃないよ」というふうに、正確にはこれは何という木だよって教えたりするんです(続く)。

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