ロックとコザ(1994)川満勝弘(愛称:カッちゃん)編 – その3

□高校生時代 私は、高校はコザ高校です。

高校では、「体操部に来い」とか「卓球部に来い」とか、また、中学の三年のときに校内マラソンで一番になってしまったから「トォー・アン・シェー(よしそれなら)陸上部に来い」とか、そういったヌー・ヤン・キー・ヤン(なんだかんだ)といって誘われましたが、体操部と陸上部にはあまり女性がいなかったので、それで、そのときかわいい子がいた卓球部に入ったんです。

また、自分が今の一番街で当時やっていたみたいに考えて、すべての生徒に「卓球簡単、教える、すぐ上手くなる。あれ簡単、難しいこと何でもない」といって、女生徒みんな集めて誘ったら、高校一年のとき女生徒が五〇人ぐらい入ったわけです。ですから、他のバスケットとかのいろんな部や、空手部とか男臭い部からもうミー・チキ・ラレテ(睨まれて)いました。

練習は放課後も日が暮れるまでやりますけど、昼休みも好きな方は部にきてやりましょうといって、三〇分ぐらい昼休みにもするんです。卓球部の練習場はちょうど真ん中にあったので、ここはバスケット、ここはテニス、向こうは陸上、体操って、右の窓からも左の窓からもみんな見えるわけです。

それで、みんな新しいスニーカーやトレパンで、その気になって、玉拾いなんかもしたりして練習していると、バスケット部とか三年生とかのアバラー・ター(わんぱく者)が窓から見ていて、「ウレー新入生ル・ヤサニ、アレー・ヌーン・ティガ、何組ガ・アレー(こいつは新入生だろ、あれは何という名前か、何組かあれは)」と聞いていって、「おい、来い。ヤー・テーゲー・メダチョー・ッサー・ヤー(お前は随分めだっているな)」と放課後呼び出されて、グランドの裏山に連れて行かれて袋叩きになったんです。生意気だからヤー・ダメン・ディ・ヤーンカイ・テー(お前はだめといってからね)、めちゃくちゃにやられたんです。

そこで、私はたいへんだからって職員室に行って「先生、こういう具合にしてなぐられましたよ、これはどうなりますか。僕は生意気だけど、部活動を真剣にやっているつもりですけど。バスケット部ですねあれは。こんなに身長も高くて色が真っ黒くして」というと、先生は「顔を覚えているか」と聞くので、「はい、四人全部覚えています」といって、バスケット部の四人は職員室に呼ばれて注意されたんです。

そしたら、また放課後にこいつらが来て「ヤー・バラチャン・ヤー(ばらしたな)」。「アイ、職員室カイ・ンジャン・ナー。ヤー・ヤ(お前は職員室に行ったな)」、「ヤーヤ、ヌガーラ・サン・ヤー、チューヤ・ナー・タッピラカスン(お前は許さないぜ、今日はもうこらしめてやる)」といわれて、下駄で左足と右足を蹴られてやられたので、私はまた職員室に行って、「先生、折れてる、下駄で蹴られました。あの人たちに」といったら、「ほんとか、間違いないな」と、すぐ四人は先生に呼ばれて退学になったんです。彼らは退学したあと、私立の中央高校に転校したんで、私はほっとしていたんです。

それで、夏休みに気持ちよくみんなに卓球を教えていたら、例の四人がカランコロンと下駄の音させてやって来て、窓から見ているわけです。私もへたに自信もっているから、こっちはもうまた先生にいうつもりで「はい、なんですか」といって外に出ていったわけよ。そしたら彼らに「ヤー、ワッター退学ナチャン・ヤー、絶対ヤー・ヌガーラ・サン・クトゥ・ヤー(お前は俺たちを退学にさせたな、絶対お前を許さないからな)といわれて、今度もまた蹴られているわけよ。

今度はもう右足も蹴られるのがわかっているから、一回蹴られたあとにあと三人に蹴られるよりはこっちも反撃に出た方がいいと思って、「アガー・アガー(痛い痛い)」しながらその辺にあったブロックを取って投げたら、相手は目の色変えて逃げてるわけよ。私は、絶対チブル・ワイン・ディナカイ・テー(絶対頭にぶつけてやろうと思って)、卓球部もテニス部もみんな見ているなかで、グランドを二〇〇メートルぐらいブロック・ターチ(ブロックを二つ)持って、すごい恰好をしながら追っかけて走ったんです。それで私のことは「ウリ、ジュンニ・ナー・クル・トォー・ッサー。ウレー(こいつ本当にもう狂っているよ、こいつは)」という感じでみられたり、こういうこともあったんです。

これは、私が中学校からの余韻で高校に行ってしまったものですから、生意気だということで制裁をクヮーされた(受けた)わけです。高校には勝連半島かも来るし、中城のアマリ・カー・カラン(あの辺)からも来る、アマリ・カー(あそこら辺)からもみんな来るから、すると「ヌーヤガ・アヌ・チョー、イミクジ・ワカラン・シーカタ・シー(何であの人は、わけのわからないやり方をして)」と思われたわけです。(続く)

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