民意の反映はりうきうの伝統にあらず

ブログ主は以前から “琉球民族はあくまで仮説である” との立場で記事を配信しています。その主旨は仮説として論じる分には問題ありませんが、民族の実在を前提に論を組み立てると無理が生じてしまうことです。

残念なことに、その点に気が付かないか、あるいは気が付いても知らんぷりしている論者が多数かと思われます。そしてこの点が独立論の最大弱点になる件については言及済ですが、今回は “民意の反映” という極めて現代的な発想と琉球民族について考察します。

琉球・沖縄の歴史において、20世紀に入るまで、1度たりとも民意を反映するシステムで政権が運営されたことはありません。世界史的には珍しくもなんともありませんが、言い換えると我が琉球民族には “民意” という発想も、”民意を反映させる” という伝統が皆無なのです。これは歴史の事実だと断言できます。

ちなみに民意を反映させるシステム、すなわち近代デモクラシーの起点はどこなのかを考えると、それは明治42(1909)年で間違いありません。理由はこの年の県会(現在の沖縄県議会)が初めて開催されたからです。参考までに当時のキャッチフレーズが “知事さんと話しができる” で、各地区から選ばれた代議士たちが議会を開催して民意を反映させる政治制度がこの年にスタートしたのです。

ただし近代デモクラシーの政治制度は “上からの改革” として実施されたことで、当時の沖縄県人の慣習や民俗に沿った改革ではなかったのです。それゆえに当時は代議士の選出のたびに地域で大混乱が生じてしまいます。だがしかし、我が沖縄県民は幾多の困難を乗り越えて議会制民主主義の精神で政治システムを運用することに成功します。それゆえにブログ主は明治から昭和を生きた沖縄の先輩たちを尊敬しているのです。

繰り返しますが、我が琉球・沖縄の歴史には、20世紀以前の為政者たちに民意を反映させるという伝統がありません。現代の議会制民主主義は大日本帝国時代の政治改革の産物なのです。我が沖縄県民はそのシステムを取り入れることに成功しますが、それは言い換えると “日本人” になった証とも言えます。日本のなかの沖縄県民(うちなーんちゅ)として生きるために、日本の為政者たちが導入した制度を運用させることで、歴史上かつてない繁栄を築き上げたこと、この点は絶対に否定できない歴史的事実なのです。

ここでちょっと意地悪な話ですが、もしも我が沖縄県が独立して、琉球独立論者が政治権力を掌握したと仮定します。その場合は、大日本帝国時代の遺産である近代デモクラシーの政治制度で国家を運営するのか、それとも全否定で琉球民族の伝統を重視するのか。きわめて興味深いところではありますが、残念ながら彼らは自らの都合のいい部分だけ民族の伝統を強調する傾向があり、独立後の国家運営をまじめに考えているかきわめて疑問です。それゆえに彼らは “りうきう独立芸人” とよばれるのに相応しい人種であると強調して今回の記事を終えます。

 

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