沖縄の高校野球は8という数字に縁がある説の再考

8月5日より阪神甲子園球場で絶賛開催中の夏の高校野球ですが、ご存知の通り今年は100周年の記念大会になります。ちなみに我が沖縄代表は第40回大会(1958年)に首里高校が初出場して以来、51回の出場で最高成績が優勝(平成22年、第92回大会)という輝かしい実績を誇ります(勝率は5割8分1厘で69勝)。今回は、2年ほど前に「沖縄の高校野球は8という数字に縁があります」をテーマにした記事を配信しましたが、当時の成績を改めてチェックした上で、沖縄の高校野球と8という数字の縁について再考します。

ちなみに100周年のような区切りの年は、(高校野球に限らず)なぜか予定調和的な出来事が起こります。典型的なのは100回の記念大会に甲子園通算100勝がかかっている龍谷大平安高校です。そして今年のセンバツから初導入されたタイブレークが記念大会で始めて行われた(佐久長聖vs旭川大)のも決して偶然ではないでしょう。何らかの”ひきよせの法則”みたいなものがあるのかもしれません。

余談はそこまでにしておいて、今回は第40回大会から10年周期で我が沖縄代表の成績をまとめました。是非ご参照ください。

第40回大会(1958年)を起点として、10年周期(西暦末尾に8がつく)の成績を振り返ると、一番すごいのが第50回大会には選手として、そして第100回大会には監督として出場する我喜屋優さんです。今年はこのエピソードだけでも”8の法則”が貫徹されています。

ちなみに第50回大会に出場した興南高校は、学校としても甲子園初勝利、県勢初の完封勝利およびベスト4という凄まじい結果を残しています。当時は国際通りに車が一台も見当たらなかった(タクシー運転手が試合時間だけ仕事サボったエピソードを聞いたことあります)といわれてますが、たしかに仕事サボってテレビにかじりついた気持ちはよくわかります。

第60回大会の豊見城高校には石嶺和彦捕手、神里昌二投手(神里和毅選手の父親)を擁してベスト8に進出、豊見城高校としては3年連続のベスト8になります。ただし豊見城高校としてはこの年を境に甲子園に出場していないのは残念なところであります。

第70回大会は、沖縄水産の左腕エース平良幸一さんの活躍が光りました。栽監督曰く「100年に1度の投球」「200年に1度の投球」を連発し、監督として初のベスト4に進出しました。1988という数字は8が2つならんでいるので、もしかするとそれが要因で我が沖縄代表も好成績を挙げたのかもしれません。個人的に面白いとおもったのが愛工大名電で、沖縄水産に負けて以来夏の甲子園では初戦突破できないんですよね。その名電が今年の記念大会に出場するのも何かの縁かと思います。

第80回大会は、甲子園以外での公式戦の実績がすさまじい沖縄水産(秋春九州大会優勝、神宮大会準優勝)、そして春夏とも埼玉代表に初戦で負けるという面白い結果になっています。この年を境に沖縄水産は甲子園出場がなく、今年も県大会初戦で沖縄尚学に8-4で破れてしまいました。

第90回大会は、浦添商業の快進撃が印象に残っています。平成22年(2010年)の興南高校の春夏連覇をのぞけば、この年が沖縄高校野球の最高成績でした(春は沖縄尚学が優勝)。当ブログでも指摘しましたが、この年は沖縄高校野球史上最高の右腕を2人輩出しています(東浜巨、伊波翔悟)。そして彼らが甲子園に出場して好成績を挙げたのも、そして甲子園最高の2塁手と謳われた町田友潤選手を擁する常葉菊川と対戦したのも偶然では無いのかもしれません。

【参照】浦添商業は夏の甲子園に4回出陽(75、79、90、94回)して10勝4敗、勝率7割1分4厘は出場校のなかではトップです。

第100回大会は、8月9日(木)の第4試合に登場し茨城代表の土浦日大高校と対戦します。ちなみに県勢対茨城の夏対戦成績は0勝2敗で、実は一度も勝ったことがありません(48回大会興南5-6竜ヶ崎、69回沖縄水産0-7常総学院)。新たな歴史をつくる絶好のシチュエーション到来で、ブログ主は興南勝利を信じて疑いませんが、果してどうなることやら?

そのほかに”8の法則”に該当しそうなエピソードを調べてみると、

・昭和35年(1960年)11月に奥武山球場が完成。昭和35年は足すと8になる。ちなみに奥武山球場で行われた最後の高校野球の試合は平成18年(2006年)の八重山商工vs中部商業の試合。2006年を足すと8になる。

・第45回大会(昭和38年)首里高校が日大山形に4-3で勝利し、県勢初勝利。

・第62回大会(1980年)興南高校が12年ぶり3度目の出場で、ベスト8に進出。準々決勝で荒木大輔投手を擁する早稲田実業に0-3で敗北。なお62回大会は足すと8になる。

・第65回大会(昭和58年)興南高校が4年連続6回目の出場、このチームは県勢初の優勝候補にあげられて、そして2年連続で広島商業に敗退。そしてこの年を境に興南は甲子園出場から遠ざかる。

・第71回大会(平成元年)に石川高校が出場するも、青森代表の弘前工に1-5で敗北し、青森県勢20年ぶりの夏甲子園勝利をプレゼントする。ちなみに71回大会を足すと8になる。

・昭和48年(第55回)と平成8年(第78回)に前原高校が出場して初戦完封負けを喫する。しかも対戦相手が関東の工業高校という偶然(55回大会は0-7で川越工(埼玉)、78回大会は0-1で前橋工(群馬)に敗れる)。

・平成18年(2006年)八重山商工が春夏甲子園出場、3勝を挙げる。なお2006は足すと8になる。

こじつけ感もありますが、いかがでしょうか。我が沖縄の高校野球は8に縁があるとブログ主は確信せざるを得ないのです(終わり)。

【関連リンク】

俺が調子に乗って沖縄の高校野球の歴史を語るシリーズその2

 

 

 

 

 

 

 

 

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