俺が調子に乗って沖縄の高校野球の歴史を語るシリーズ その2

沖縄の高校野球は8という数字に縁があります。1958年(昭和33)の夏の甲子園で首里高校が甲子園に初めて出場しますが、その後不思議なことに10年ごとにイベントが発生しています。時系列で記載すると……

1958年(昭和33):首里高校が甲子園初出場。甲子園の土のポイ捨て事件はあまりにも有名なため、このブログでは説明を省きます。

1968年(昭和43):興南高校が夏の選手権大会でベスト4に進出。現興南高校監督の我喜屋優氏が出場したことでも知られています。興南球児の活躍は当時家庭に普及したテレビ放送でほとんどすべての沖縄の人たちが観戦します

1978年(昭和53):豊見城高校が夏の選手権大会でベスト8に進出。なお豊見城高校はこのあと甲子園出場がありません。石嶺和彦氏(元阪急ブレーブス)が4番捕手で出場、初戦で対戦した我孫子高校(千葉代表)に和田豊氏(元阪神タイガース監督)がスタメン出場しています。

1988年(昭和63):夏の選手権大会で沖縄水産高校がベスト4に進出します。故栽弘義監督が率いたチームで初めてベスト4に進出の快挙も、準決勝で惜しくも前田幸長(元千葉ロッテマリーンズ)投手率いる福岡第一高校に敗れます。この年の国体で沖縄水産は優勝して初めて全国大会のタイトルを獲得します

1998年(平成10):いわゆる松坂世代の年で、沖縄水産史上最強チームが誕生します。秋の神宮大会準優勝、九州大会は秋と春で優勝という輝かしい実績を残すも、何故か甲子園では春夏ともに埼玉県代表に初戦で敗れてしまいます。沖縄水産はこの年を最後に甲子園に出場していません。出場選手は新垣渚(ヤクルトスワローズ)、稲嶺誉(元ソフトバンクホークス)、大城直也(元新日石ENEOS)など。

2008年(平成20):春のセンバツでは沖縄尚学が優勝、夏の選手権では浦添商業がベスト4という輝かしい実績を残します。この年は首里高校が甲子園に出場してから50年目の節目の年ですが、東浜巨(沖縄尚学)、伊波翔吾(浦添商業)という沖縄の高校野球の歴史上最高レベルの右投手を2人も輩出したことが印象的です。

2008年の夏の高校野球の沖縄県予選の決勝で、沖縄尚学が大チョンボをやらかしたことでも有名です。決勝戦は北谷球場での開催でしたが、なんと沖縄尚学は試合開始直前に球場入りして、準備運動不足のまま試合に臨みます。この試合で先発の東浜くんは初回にいきなりフルボッコの5失点で、この失点が致命傷になり結局沖縄尚学は負けてしまうのです。東浜くんは前年の夏の県予選準決勝(対浦添商業)でも先発好投も途中降板リタイア(熱中症)で、結果沖縄尚学は負けてしまいます。東浜くんは夏の選手権では本当にツキがありませんね。

このように末尾に8が付く年は沖縄の高校野球に何かが起こるのです。そうなると2016年に高校入学した世代が2018年には3年生です。そのときにどのようなイベントが起こるのか、ブログ主は今からひそかに楽しみにしています(続く)。

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