浦添朝満の謎 – その(1)

今年に入って、「二代目聞得大君の謎」と題した記事を3回配信しましたが、実はブログ主の予想の斜め上を行く反響がありました。その際に、二代目聞得大君こと峯間(みねま)の史料をできる限りチェックしたところ、向氏小禄家(一世朝満)の一族に関する思いがけない事実に気が付きました。

そのため、ついでと言ってはなんですが、浦添朝満(1494~1540)についても、現時点の仮説と断りつつ、当ブログにて調子に乗って言及します。

その前に、「おもろさうし」の「巻七 – はひのおもろ御さうし」から小禄家にかかわる興味深いオモロを紹介します。

(七ノ十二)うちいではかなふくのもりのふし

一 きこゑ、おわもりや、きや、かまくら、かはらなはん、きやめ、たうみやこ、そろへて、かなしよわれ

又 とよむおわもりや

(七ノ十二)打ち出では金福の森の節

一 聞え上森は。京、鎌倉、交刺巴、南蛮、極み、唐、宮古、揃えて、適はし御座されい。

又 響む上森は。(京、鎌倉、交刺巴、南蛮、極み、唐、宮古、揃えて、適はし御座されい。)

※鳥越憲三郎著『おもろさうし全釈 – 巻二』より抜粋。

ちなみに鳥越先生の解釈は、「名高く鳴りひびく上森(女神官名)は。国王は京都、鎌倉、爪哇(じゃわ)や南蛮の涯(はて)まで、また中国や宮古もととのえて、願いを成就させていましませよ」とあり、りうきうの交易範囲に対し、神が全面的に守護を約束した内容であることが分かります。

では、女神官が国王に授けたオモロがなぜ小禄家とかかわっているかについてお答えすると、本歌に登場する「上森(女神官)」が実は小禄家出身の女性なのです。『女官御双紙』によると「上森(うわもり)」と称する神官は3人おり、なんとすべて向氏小禄家から出ているのです。(『女官御双紙』からの引用は下記参照ください)

うわもり 真字 上森

〇首里うわも里あんし 向氏浦添王子朝滿號月浦の二女

〇うわも里あんし 月浦の二男佐敷王子朝里女 向氏伊江按司朝恒室

〇我謝うわも里按司加那志 向氏具志頭王子朝盛女號梅岩 尚豊尊君の御妃なり

※向氏具志頭王子朝盛は向氏小禄家四世。

参考までに、上森は『女官御双紙』によると、聞得大君、阿応理屋恵(あおりやえ)、佐司笠(さすかさ)、首里大君(しゅりおおぎみ)の次に記載されています。そして、うわもりの称について補足すると、真字(漢字)で「宇和茂理」あるいは「上森」を宛ててますが、「上」はオモロでは「天界」を指し、「森」は城(ぐすく)の霊的表現となります。そのため「うわもり(上森)」は「天界の城」と解釈でき、ちなみに『おもろさうし』では首里城は「天界の城が地上に具現化した存在」として扱われています。

つまり、上森女神官は、三十三君(高級女神官の総称)の中でもトップクラスの存在で間違いなく、その称をすべて小禄家出身の女性が占めているわけです。それだけでなく、朝満の長男である二世朝喬(ちょうきょう、1512~1576)には娘が3人いますが、実はすべて高級女神官に任命されています。

これらの事実は、朝満を祖とする向氏小禄家は、尚眞王以降の「首里親国」の統治には欠かせない一族であることを意味しますが、そうなると一世朝満が2度に渡って世子を廃され、1508年以降浦添に蟄居した事実と矛盾するのではないでしょうか。次回はこの矛盾について、ブログ主なりに考察します(つづく)。

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