滅び行く方言

(沖縄)方言に関して、先ずは以下の文章をご参照ください。

方言論争(昭和15年1月)たけなわのころに、標準語は適正に普及されるべきで、それにはラジオ放送などが有効に働くだろうという意見を先輩の誰かが述べていたようである。あれから三十数年間に、とくに第二次大戦後の交通、通信機関の驚異的な発達にともなって、世界的に方言の共通語同化作用が進行したといわれている。沖縄でもラジオ、テレビの影響で、労せずに標準語が普及して「奨励」などと口にする必要がなくなったかわりに、方言は忘られつつある。現に私の孫達(他家の子供達も同じだろうと思うが)など、方言を全然しらない。おそらく次の世代から方言は古典となってしまうのではないか。

私の経験によると、私の中学時代から、純粋な首里の方言は話せなくなっていた。首里の子供たちを集めた小学校時代は、それなりに首里方言の世界があったと思う。中学に上がると、沖縄の各地方(国頭、中頭、島尻、那覇、宮古、八重山)それに鹿児島、奄美大島などから同級生がやって来て、方言のチャンポンみたいになった。同級生仲間では方言しか使わなかった。友人を家に連れてくると、私の祖母など、私たちの話す言葉が半分もわからない – とこぼした。教育 – 知識が普及すると、方言では表現できないものが出てくる。方言の語いが少ないせいなんだが、学問のない年寄連中にはわからなくなる。

いつだったか、那覇ロータリークラブで仲井真元楷(なかいま・げんかい)君に沖縄の「ことわざ」について講演をしてもらった。それをよく聞いてみると、漢語がまざって、「あります」という語尾を「エイビーン」という風にして、方言らしさを出しているように感じられ、仲井真君も大分苦労している – と思った。

今日の沖縄で(昭和48年)、本物の「ウチナーグチ」を話せる人は、ごく少ないのではないか。首里言葉は、ほとんどダメになっているし、私もダメである。私が二十一、二歳のころ、母から叱られた思い出がある。尚昌侯爵(尚泰候の孫)が東京から帰省されて、私の家に尚家の使いが土産を届けてくれた。たまたま在宅していた私が玄関まで応対に出て「ニフェーデービル」と頭を下げた。それを隣の部屋で母が聞いていたらしく「そんな失礼なあいさつがありますか」というのである。「では、どう言うのですか?」「シドウガフー、ウガナビーンと言うんですよ。それが目上の方へのあいさつです。ニフェーデービルは対等の人に使う言葉です…」。そういわれて、そうかなと思った。こちらは全く知らないのだから…。

言葉は時代の影響を受けて変化するのが必然であっても、正確な言葉は記録にでも残しておきたいと思う。たとえば、芝居のセリフにもおかしなものがある。以前に何とかという芝居に出てくる琉球王の言葉は、ニフェーデービル式の王にあるまじき言葉の使いようだと、首里の先輩方の物笑いになった話がある。玉城盛重氏らが組踊りを上演していた昭和の初期までは、まだセリフにも純粋さが残っていたようである。あれ以後は言葉がなまっている。またそうなるのが宿命でもある。

松竹新喜劇の渋谷天外が「大阪弁というものはありません。大阪方言も完全にすたれてしまった」という嘆きを雑誌に書いてあった。接続詞とか接尾語をくっつけて体裁をととのえるとか、漢語を入れて言葉をふやすとか – 厳密な意味で方言でない方言が各地で使われて、本物の方言の面影をかすかにとどめているようである。

現代の生活のテンポにマッチしないで忘れられていった方言の言葉も、かなりある。卑近な例をあげると – 木が「繁っている」ことに「ムテェトウン」という。私が両親から聞いた方言である。それを、いま使えといったって仕様がない。まさか、木が「もたえさかとうん」とは…いえないだろう。

上記の文章は高嶺朝光著 『新聞五十年』からの抜粋(217-219㌻)です。興味深いのは(首里)方言が崩れたのは(旧制)中学に入って各地から学生が入学することによって言語が“チャンポン”になったと記述していることです。つまり移動の自由が拡大したことで、結果として言葉がおかしくなったということです。

高嶺さんは首里の名家の生まれですが、そんな生い立ちの彼ですら純粋な首里言葉はしゃべれない。敬語が全く使えない。戦前から方言の瓦解は始まっていたことを示す貴重な証言です。

現代社会において(沖縄)方言の普及は極めて難しいのが現状です。理由は「使う必要がない」からです。あと高嶺さんも指摘している通り、語彙の数が過去とは桁違いに増えています。そのため方言を普及するにしても、どうしても無理が生じてしまう。たとえば『沖縄語辞典』などの記録媒体を参考に21世紀の「沖縄語」を作成して、「これがウチナーグチだ」と喧伝しても意味ないでしょう。だから沖縄方言は「滅び行く運命」にあるのです。

ブログ主はウチナーグチとやらを沖縄県のキャンペーンで普及させることには断乎反対です。理由は現代のウチナーグチはかつての純粋な沖縄方言とは似て非なるものだからです。そして“似非”を普及させて“民族の文化”などと唱えるおめでたい人は実に目障りな存在なので一日も早く沖縄社会から消滅することを切望しつつ、今回の記事を終えます。

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