現代社会の古典離れを憂うお話 その1

先の5月22日に組織犯罪処罰法改正案が衆議院で可決されました。その際にネット上で話題になったのが現参議院議員の小西ひろゆき氏の亡命問題です。

その経緯は、4月19日の小西氏のツイートが発端で、その内容は「正直なところ、安倍内閣の解釈変更が法理論も何もない不正行為であることを暴き、すなわち違憲の絶対証明を行い、今なお信念に基づきこれを追及している私は、共謀罪が成立すると本気で国外亡命を考えなければならなくなると覚悟している。日本社会が変わるのは一瞬であることは歴史が証明している。」になります。

このツイートには批判が殺到しましたが、一番強烈(かつ大笑いした)内容が5月15日の渡邉哲也さんのツイートです。

渦中の小西氏は現在も日本に滞在しており、国外脱出する準備をしているかは寡聞にして存じませんが、この案件で痛感したのは「公人にはふさわしくないレベルでの言葉の軽さ」になります。ブログ主は偶然にも5月16日の産経新聞のある記事を読んだ際に、政治家の失言が頻発する理由のひとつが理解できたので、その内容を紹介します。東京・永田町の国会議事堂内にある書店「五車堂書房」の店主幡場益(はたば・すすむ)さんへのインタビュー記事の一部になります。

~昔の政治家は教養人、今はダメだねぇ~

(中略)「昔買いに来てくれた人も、えらくなるとだんだん勉強しなくなるんだな。よく総理大臣が、本屋を貸し切りにして買い物をしたという報道があるでしょう。それでいくら本を買ったかと聞くと、4千円だとかいう。冗談じゃない、桁が違うだろ。一般人じゃないんだから。400万円でもいいぐらいだ」

「議員の名簿を見るでしょう。すると趣味はだいがい『読書』。7割ぐらいはそう書いている。でも最近何読んだのかと聞いてみたら、週刊誌だって。読書ってのは、書籍のことを言うんですよ」

では今の政治家で、読書家はいないのか。

「そりゃ細田博之(自民党総務会長)さんでしょ。毎朝来てくれる。お父さん(細田吉蔵元運輸相)も大変な読書家だったからね。昔の政治家は教養人がたくさんいたんだよ。大平(正芳元首相)さんとか、前尾(繁三郎元衆院議長)さんとかね。いまはダメだねぇ」

(中略)「あと古典を読まないのが困るね。古典は基本なんですよ。他の先進国でも、ギリシャ、ローマの古典は教養の基礎でしょう。日本の場合はやはり中国古典ですよ。ほら、そこに『全訳為政三部経』(張養浩著、安岡正篤訳、明徳出版社)なんて置いてあるけど、売れないんだよねぇ」

幡場さんが仰る通りで、たしかに近年の政治家の教養は低下しているように見受けられます。これは政治家に限った話ではないのですが、公人の軽率な発言が後を絶ちません。このブログでも記事にしましたが3月の石嶺市議の発言が典型的な例になります。SNSの発達で誰でも気軽に情報発信できる時代ですが、その反面「言葉の重み」が失われている気がしてなりません。その原因の一つに教養の低下を挙げてもいいのではないかと思います。

一番気になったのは現代社会における著しい「古典離れ」です。とくに近年の中国脅威論の蔓延で中国古典が軽視される傾向がどうしても否めません。実はブログ主にとって近年ブームの沖縄本を参照すると、たしかにハッとするようなことを書いているのですが、「一度読めばいいや」と感じてしまう書籍がほとんどなのです。今までこの原因が分からずにもやもやしていましたが、幡場さんのインタビューを参照して、積年の疑問が一気に氷解した気分になりました。(続く)。

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