皇室と沖縄社会とタブー

今月12日ごろ、「沖縄青年同盟」の活動家の訃報ニュースが県内2紙に掲載されていました。彼らが起こしたとされる「国会爆竹事件」など、彼らの活動そのものには「今更どうでもいい」との感しか湧きませんが、沖縄2紙がわざわざ活動家の訃報を、しかも追悼文(沖縄タイムス)まで掲載していた事実には強い興味を覚えました。

それはつまり、権力などの強いものに対して “物申す態度” に共感する購読者が沖縄2紙のコアになっている傍証であり、そしてそれらの “声を上げる” 行動そのものが、復帰前後の昭和45年から現在にいたるまで、沖縄社会(における一部階層)の支持を得ているのも紛れもない事実なのです。

ただし、”物申す態度” にも例外があり、沖縄社会には皇室に対する言動だけは慎むべきとの暗黙の了解が存在し、ついうっかりそれを犯してしまうと、まともな社会生活を営めなくなる恐れがあります。ましてや「天皇制打倒」などの態度を鮮明にすると、社会から公序良俗に反する存在(いわゆる反社)のレッテルすら貼られてしまいます。そして、この例外もまた復帰後から現在までの沖縄社会における “ルール” なのです。

ではなぜそうなったのかについて、そのキッカケはは昭和50年(1975)7月の「ひめゆりの塔事件」ですが、実はその後の “ストーリー” が沖縄社会に大きな影響を与えています。その出来事とは、ひめゆりの塔の事件から2年後の昭和52年(1977)9月、日本赤軍が起こしたハイジャック事件(ダッカ日航機ハイジャック事件)に際し、犯人グループが日本政府に対しひめゆりの塔事件の主犯の釈放を要求した件です。同年9月29日付琉球新報夕刊1面に掲載された(ひめゆりの塔事件で)火炎瓶を投げた人物の経歴は以下ご参照ください。

日本赤軍による日航機乗っ取り事件で政府は二十九日午前、人命尊重の立場から超法規措置として犯人側の要求を受け入れ、赤軍派ら九人を釈放する方針を発表した。この政府決定によりハイジャック機が二十八日午後バングラディッシュのダッカ空呼応に着陸して以来、約十九時間ぶりに事態は新局面へ向け大きく動き出した。政府が拘置被告の釈放へと追い込まれたのは日本赤軍音クアラルンプール事件(五十年八月)から二度目で、日本赤軍によるハイジャック作戦で政府は再び全面降伏の窮地に立たされた。この政府方針を、バングラディッシュ当局を通じ伝達されたハイジャック犯は十八時間以内に釈放被告九人と、身代金六百万㌦(約十六億円)をダッカ空港に搬送するよう要求。日本政府の屈伏によりその強硬な姿勢を一段と強めており、急転回を始めた事件の進展によりダッカ空港の現地、日航の対策本部では一気に慌ただしさを深めている。(以下略)

釈放要求9人の系譜 (8人については略)

▽知念功(二七) 沖縄県那覇市出身。元東海大生。五十年七月沖縄海洋博の際、同博の名誉総裁として訪沖された皇太子ご夫妻が「ひめゆりの塔」に参拝した際、火炎びんを投げつけて逮捕された。沖縄解放同盟所属。現在、福岡高裁那覇支部で公判中。

ちなみに、知念さんと「沖縄解放同盟」はハイジャック犯の要求を拒否し、国内に残留します。

私は国内で活動する” / 知念功、出国を拒否

バングラディッシュのダッカ空港で起きた日航機ハイジャック事件は、日本政府と犯人グループの間で緊張したやりとりが続けられているが、人質交換の条件として釈放要求が出ている被告のうち沖縄刑務所に拘置中の沖縄解放同盟活動家、知念功(二七)は二十九日深夜、長谷川永・沖縄刑務所長らに出国拒否を明らかにした(一部地域既報)。三十日午前、知念の家族が面会したが知念は「沖縄解放同盟の一員として国内で活動する」と述べ、出国拒否の意思が固いことを明らかにしたという。また面会では、二十九日深夜の知念と刑務所当局とのやりとりがテープに録音されたこと、出国拒否の意思を記した「上申書」を所長あてに提出したことが知念の口から明らかになった。刑務所当局はこの二つの事実を確認、ないような意図についてコメントを避けているが、家族らは「ダッカの犯人グループとの交渉に使用するのではないか」と緊張した面持ちで事態の動きを見守っている。

刑務所当局とのやりとり / テープに録音

三十日朝の知念は午前七時に十分に起床、朝食をとったあと十時十分から三十分間、面会に臨んだ。面会したのは母親と親戚の男性、沖縄解放同盟の計三人。事件のその後の経過を詳しく知らせたが、知念は昨夜の緊張した表情とは違い、いくぶんリラックスしていたという。

知念が家族らに伝えたところによると、二十九日深夜、意思確認の面会では所長との一問一答がテープに録音された。約五分間続けられ、藤原〇一検事が立ち会った。引き続き「上申書」を書き、二十日午前、所長当てに提出した。上申書はけい紙の一枚半に書かれ、二十九日沖縄解放同盟が発表した「赤軍派の要求には全く応じることはできない」との声明とほぼ同旨だという。

長谷川所長は「起こりうるあらゆる事態に備えている」と述べ、テープ録音など事実を認めた。しかし、これらが、いつの時点でどのように使用されるかは言明を避けている。三十日午前の段階では、知念を含めた釈放要求者三人の出国拒否が確認されただけで、目立った進展はなかったが、家族らは「今週提出予定だった知念の保釈申請も、この騒ぎで来週へ持ち越さざるをえなくなった」などと話しながら沖縄刑務所入り口で待機を続けている。(昭和52年9月30日付琉球新報夕刊03面)

参考までに、日航機ハイジャック犯が解放を要求した9名のうち、知念さんを除く8人(奥平純三、大村寿雄、大道寺あや子、浴田由紀子、植垣康博、城崎勉、仁平映、泉水博)は実に香ばしいメンバーかつ殺人犯まで含まれる有様であり、それゆえに沖縄社会において皇室に対して過激な言動をためらわない輩は “日本赤軍と同列” との最悪イメージが定着してしまうのです。

この事件後、政治家や社会の地名士(既存マスコミ含む)などは皇室に対しては慎んだ行動を心がけるようになります。皇室に対して不用意な言動を行なった場合、 “その行為” だけで社会からの信用を失ってしまうからです。しかも、政治家は(政治家になる前も含む)過去の言動が掘り起こされて致命傷になる恐れもあります。

それ故にブログ主は、沖縄の明日を担う若い世代に対しては、皇室に対する言動には細心の注意を払ってほしいと訴える次第であります。

残念ながら手遅れの人もいるようですが(終わり)

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