県政百年の知事メッセージ(昭和54年)

本日は、(ブログ主的に)野球シーズンがひと段落したので、ブログネタになりそうな史料を探しに、ひさびさに沖縄県立図書館を訪れました。そういえば4月4日は、明治12(1879)年に廃藩置県が施行されて140年以上経っているなと思いつつ、試しに復帰後の関連記事をチェックしたところ、興味深い史料を発見しました。

それは、昭和54(1979)年4月5日付琉球新報朝刊1,2面の「県政百年の知事メッセージ」と題した西銘知事の談話であり、復帰後の我が沖縄におけるの “歴史認識” を伺う上でも貴重な内容となっています。大まかに要約すると、「我が沖縄は、廃藩置県後、沖縄戦や米国による異民族支配(27年)によって、他府県に類例の見ない苦難な歴史を歩んできた。それらの歴史的経緯があるため、他県との格差が生じている。それゆえに県政百年は素直に喜べない」になりましょうか。

廃藩置県に関するブログ主の所感と、知事メッセージへのツッコミは置いといて、今回は全文を紹介します。読者のみなさん、是非ご参照ください。

県政百年の知事メッセージ

県民の皆様、四日は沖縄県にとって一人一人が考えなければならない歴史的に大変意義のある日であります。

それは今からちょうど百年前の明治十二年(一八七九)四月四日に廃藩置県が公布、施行されたからである。

廃藩置県は時勢に疎かった当時のわれわれの祖先達には、突如とした出来事で、対応するいとまもなかったため、かなり強制的に行われ、しかも五百年も続いた中国との交流(冊封、朝貢関係)なども禁止されたということである。その是非はともかく、以来、わが県は、他県に類例をみない幾多の苦難にみちた道のりを経てきたのである。にもかかわらず、われわれの先達は、すぐれた社会・文化を残し、平和への希望をすてず、苦難を一つ一つのりこえ、英知と創造力を発揮して県勢の発展につくしたのである。

私の幼少のころは一七〇〇年代のかの有名な行政官蔡温が力を尽くした緑化事業が功を奏し緑に覆われた素晴らしい居住環境が各地域に所在し、調和のとれた定住の地が形成され、全国的にも誇るべき南国の香りを漂わせた〇楽地であった。

しかしながら、県民の意に反し、第二次世界大戦の渦中に全県土が巻き込まれ、多くの尊い人命と財産が失われ、焦土と化し、終戦を迎えたのである。

他府県においては戦後一早く県政がスタートされたのであるが、本県においては、以来二十七年間異民族(米国)支配という県民の意にそぐわない県政が進められてきたのである。

このような歴史的堆積による種々の条件整備の立ち遅れが本土との各面における格差となってあらわれているものと思う。一方県内情勢は、雇用・失業問題、産業、とりわけ第二次産業の不振、社会福祉、交通、戦後及び復帰処理問題等にみられるように極めて厳しい状況にある。

そのため、県としては、本土との各面にわたる格差の早急な是正と地域特性を生かした自律的発展の基礎条件の整備に全力をあげて取り組んでいる。

顧みるにあの悲惨な第二次世界大戦がなく二十七年間の異民族支配がなかったならば本日の四月四日は真に県政百年という記念すべき日になったことと思うが、不幸にして沖縄県政施行後百年は途中で「県」がなくなり復活するという苦難な経路を辿ったので、心から喜べないものがある。

しかしながら、新生沖縄県を復活する「よき成長剤」を投入し、県民が連帯意識に徹して事に当たれば必ずや明るい将来が開かれるものと確信する次第である。

このようなことから、県政百年の意義は、この歴史的節目を契機として県民一人一人が、今一度本県の歴史を考え、新しい地域社会の建設目標をあらためて確認し、その目標達成に向けて県民の創造的エネルギーを結集することにあると思う。

県民の皆様、何とぞ「明日の豊かな活力ある住みよい県づくり」のため、なお一層の御理解と御協力を切にお願い申し上げます。

 

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