金城正雄さんの謎 – 番外編

ご存じの通り、当運営ブログでは故川満勝弘さんの証言(ロックとコザ)を掲載してますが、彼の証言の裏付け史料を探しているうちに、ついうっかり沖縄ヤクザ関連の新鮮なネタをゲットしてしまいました。

当運営ブログの読者のなかには熱狂的な “アシバー記事ガチ勢” がいますので、彼らの欲求を満足させるべく、6月中にブログ主が入手した史料を公開します。なお、第一回目は、金城正雄さんのクズエピソードを紹介しますが、彼のあだ名が “ジョーグチ” であったことが確認できる貴重な史料です。是非ご参照ください。

金城(那覇派幹部)を逮捕 / パチンコ店襲撃を命令婦女暴行の余罪も

さる七月十二日に起きた、那覇派と普天間派暴力団抗争にからむミノル(元ミカド)パチンコ店襲撃事件を捜査中の那覇署は八日、同パチンコ店襲撃を命じた暴力団那覇派中堅幹部金城正雄こと門口政雄(二九)を暴力行為等処罰に関する法律違反で逮捕した。

同署ではさる七月十二日那覇市牧志町のミノルパチンコ店襲撃事件後、暴力団那覇派組員、山川勝三、仲村守雄、島里正雄、石川吉雄の四人をつぎつぎに逮捕したがその後の調べでこれら四人に襲撃を命令したのは門口とわかった。同署の調べによると門口はミノルパチンコ店が襲われた前日の七月十一日、山川ら四人を那覇市辻町の飲食店に呼び出し「ミノルパチンコ店は名義上は変わっているがあれは普天間派の田場が経営する店だ。これ以上もうけさせるといけないからなんとかしてこい」と襲撃を命じた。

また那覇署がさきに那覇市繁多川の那覇派組員のアジトを急襲し短銃三丁、火炎瓶一本を押収し現場にいた那覇派暴力団員、石川吉雄を現行犯で逮捕したが、短銃も門口が石川に持たせたのではないかとみて、その面も追及している。

門口は那覇派組員の中堅幹部でこれまでも数回にわたって普天間派と抗争を起こしており、那覇署でもマークしていた。またこのパチンコ店襲撃事件で捜査中、山川勝三がさきに逮捕された同組員金城らと共謀して五月十一日、那覇市内波上で散歩中の婦人をおそい、無理やりに車にら致して、那覇市識名の納骨堂付近で乱暴したことも明るみにでた。

那覇署では門口らの本格的な調べはこれからだが、まだかなりの余罪があるものとみている。

引用:昭和42(1967)年9月6日付琉球新報夕刊3面

補足すると、田場盛孝(普天間派大幹部)が、那覇派と山原派とのパチンコ店共同経営を断わり、独自かつ無断でパチンコ店をオープンしたことによって第三次沖縄抗争(那覇・山原派vs普天間派)が勃発します。そのきっかけとなった出来事として、昭和41(1966)年10月の那覇市牧志パチンコ店「ミカド」襲撃事件がありますが、実は記事内の「ミノルパチンコ」は「ミカドパチンコ」の名義が変わっているだけで、やはり那覇派としては目障りな存在なため、金城さんが配下の子分たちに襲撃を命じたいきさつがあります。

次に紹介する記事は、金城さんのすがすがしいまでのクズ・エピソードが掲載されています。

那覇幹部の門口を起訴 / 組員の内妻に暴行

中央巡検は十一日、那覇市寄宮三〇六、暴力団那覇派幹部、門口政雄(三〇)をきょうかつ、婦女暴行傷害罪などの疑いで中央巡裁に起訴した。

起訴状によると、門口はさきに暴力団普天間派経営の那覇市牧志町のミカド・パチンコ店襲撃事件でつかまった那覇派組員、石川吉雄の内縁の妻、A子さん(二〇)が、石川の保釈金をくめんしていることを知り、さる八月三十日午後十時ごろ、A子さんを那覇市辻町二‐二六、菊の松ホテルに連れ込み「ミカドパチンコ店を襲ったことを石川が警察で自供したため仲間の仲村守雄と下里正雄が検挙された。二人の弁護料として三百㌦を出せば話をつけてやる」とおどしたA子さんが断ると

A子さんを無理やりに暴行、

「要求に応じない場合は石川の生命および君の身体の安全は保証できない」とおどし、翌三十一日に同町三‐八六二、ホテル平和の経営者、津嘉山キヨさんから同ホテルで女給として働く条件でA子さんに九百㌦の前借りをさせ、

そのうち四百㌦を巻き上げた。

さらに門口は八月十日ごろ、那覇市樋川、那覇劇場付近で同派組員、渡慶次〇明が同派大幹部スターこと又吉世喜宅の警備を怠ったとしてなぐり、渡慶次に全治二週間のケガを負わせた。

引用:昭和42年11月13日付琉球新報夕刊3面

上記引用の記事によって、金城正雄さんと又吉との関係が史料ベースで確認できたことと、

又吉世喜の葬儀の際のおくやみ広告に金城正雄さんの名前が掲載されていない理由がはっきりわかった

点で極めて貴重な内容であると強調して今回の記事を終えます。

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