“長寿県沖縄” という戦後最大のユクシムニーの考察(2)

(続き)前回の記事において、「平均余命の順位低下は生活習慣があまり好ましくない面があるのも否めません」と言及しましたが、ハッキリいって我が沖縄における平均余命の順位急降下の直接的な原因を特定するのは極めて難しいと言わざるを得ません。というのも、実はこの案件、「必ずこうなる」との十分条件なんてどこにも存在しないのです。

参考までに平均余命が低下する十分条件として「戦争」と「乳幼児死亡率の急上昇」がありますが、もちろん我が沖縄では該当しない案件ですし、今回のデータはコロナ禍の影響もあまりないかと思われます。そのため、あくまで「●●が一因なのでは」ぐらいの緩い仮説になることを承知の上で、ブログ主なりに調子に乗って考察します。

試しに、「戦前や、アメリカ世にはなくて、復帰後、とくに平成以降に顕著になった生活習慣」を追及してみると、平均寿命の順位低下の原因として、真っ先に「酒」と「たばこ」は除外できます。実は、アメリカ世の時代は、大日本帝国下の沖縄県の時代と比較してスナック、おでん屋、そして料亭の規模がけた違いなのです。それはつまり、復帰前の琉球住民は、戦前の沖縄県人とは比較にならないレベルでアルコールを摂取していた可能性があるわけで、もしも「酒」が平均余命のデータに影響を及ぼすなら、昭和50年時に全国平均を下回るはずですが、実際には上回っているのです(タバコも同様)。

つぎに、沖縄は夜型社会とよく言われますが、それは社会の電化が急ピッチで進められたアメリカ世時代から始まった慣習です。参考までに昭和40年(1965)ごろには、沖縄の配電会社は全琉に安定的に電力を供給できるようになります。それに伴って、社会の夜型化が加速する訳ですが、ハッキリ言って昭和50年以降の平均余命のデータに影響を与えていません。むしろ昭和55年と60年は男女ともに1位ですから、社会の夜型化が沖縄県民の健康に決定的な悪影響を及ぼした事実は証明できません。

ならば、戦前にはなかった巨大な在沖米軍の存在、それに伴う “過重負担” が琉球住民、および沖縄県民の心身に悪影響を及ぼしたのか。それもありえません。平成12年(2000)の沖縄男性の順位急降下は、米軍基地とは無関係であり、むしろこの時期は復帰直後に比べて基地負担は暫時減少の傾向があった時期なのです。

となると、一部知識人が唱える “沖縄差別” が平均余命に影響を及ぼしたのでしょうか。それが一番ありえない仮説であって、米国民政府と琉球政府の二重政府状態にあったアメリカ世時代以上に、平成に入って沖縄差別が深刻化した歴史的事実はどこにもありません。

実は、戦前やアメリカ世にはなく、昭和にあるもの、特に平成以降に顕著になった生活習慣を考えると、我が沖縄県民の健康に大きな影響を与えた食生活が1つあります。それは “麺の常食化” です。誤解を恐れずにハッキリ言うと、沖縄そばが “県民食” と認知された平成以降、我が沖縄の平均余命の順位は下降の一途を辿っているのです。

具体的に説明すると、沖縄そばなどの麺類そのものは悪くありませんが、食べ方がいけないのです。というのも、我が沖縄では沖縄そばは単品ではなく、セットメニューで注文します。たとえばそば&ジューシー、いなり、あるいはご飯などですが、

そうなると、どうしても汁を飲み干してしまいます。

この食習慣が現在の “りうきうのメタボ・ファイヤー” の元凶であり、高血圧がまん延する主因でもあり、そして健康寿命が伸び悩む最大原因なのです。ちなみに、沖縄で麺類の汁を飲み干す食生活がいつごろから根付いたかは不明ですが、少なくとも沖縄そばが “ソウル・フード” と化した平成に入って社会に定着したのはほぼ間違いありません。

※ためしに、沖縄ファミマで販売している「朝すば」と「ポークたまごおきぎり」を完食すると、それだけで食塩摂取量が6㌘を超えます。

なお、沖縄では徐々に塩分摂取量が低下しているデータもあるそうですが、残念ながら平均余命の順位上昇には反映されていない現実があります。そして、ブログ主は “沖縄そば” を県民食として崇めている間は平均余命の順位アップは望めないと確信しています。理由は簡単で、麺類の減塩化は極めて困難ですし、定着した食習慣を改善するのは至難の業だからです。そしてなにより、

長寿県沖縄というブランドを確立してジン儲けしようという品性卑しい大人が存在する限り、県民が本気で生活習慣の改善に乗り出すことは絶対にありえない

と特筆特大して、今回の記事を終えます。

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