9月10日の沖縄タイムスの投稿記事について思ったこと

9月10日の沖縄タイムスの読者投稿欄に平良研一氏(沖縄大学名誉教授、77歳)の投稿記事が掲載されていました。実にわかりにくい文章ですが全文を掲載します。まずは我慢して本文をお読みください。

~「新聞は偏向」見当外れ 辺野古・高江の抗議 当然だ~ 

日本の言論界の一部で、沖縄の新聞は「偏向」していると言われ、2紙ともにつぶせという乱暴な発言さえ散見される。「偏向」は、辞書には「一方にかたよった傾向」と簡単に書かれているが、それだけでは分かりにくい言葉である。また、一つの指標とされる「中立」という言葉も、どちらにもくみしないという、肝心なところで逃げる構えのうさんくささがつきまとう。ともあれこれらの言葉は、複雑多様化し矛盾が渦巻くこの社会の問題を、どの立場でどのように読み解くかを問いかけている。

さて、改めて「偏向」を社会的に見ると、戦後民主主義の教育の一環として平和教育が勢いを増すなかで、それをけん制する狙いで「偏向教育」とされたことが一般化したことがわかる。1950年代に自衛隊が創設されるなど、米国との関わりで、「再軍備」が明らかになるにつれて平和憲法の形骸化に反対する労働者、知識人と政府は鋭く対立するようになる。戦後憲法の理念に沿って、平和教育を実践するという極めて自然な活動に対する「偏向」とレッテル貼りは全く不当なことであった。

こうした政府の「反動化」の傾向は、戦後10年を待たずに始まったことであり、この大きく常識を逸脱する政治思想傾向こそ「偏向」というべきではないか。また本土で、公民館での原爆展が「教育の政治的中立」に抵触するとして不許可になったことなど「中立」を盾にした憲法違反の疑いも遁れない事例である。

さらに現在「辺野古」「高江」では、平和的に生きる権利を侵害され、命をさえ脅かされていることに、住民は当たり前の抗議、反対運動を続けている。最近子どもがオスプレイの訓練におびえており、眠れない、勉強ができないなどの悲痛な声に居たたまれず、村長をはじめ、議員、区民も総出で抗議に出向いている。俳優の吉永小百合さんも、ある週刊誌の対談で「これまでつらい経験をしてきた沖縄の人たちにももっと人間らしい対応をしてほしい」(本紙8月21日付)と苦言を呈している。

冒頭に掲げた県内2紙は、日・米の基地政策の理不尽さと横暴さを激しく批判しているが、これも住民が人間らしく生きる権利の保障を代弁する新聞の当然の使命であり、偏向呼ばわりは全くの見当外れである。これまで述べたように、特に「偏向」攻勢は、人の主体的な意識活動に実際に歯止めをかけるもので、例えば「辺野古」「高江」の闘いが、こうした権力の卑劣な攻勢に抗する平和と民主主義のメッセージを発しているのである。(浦添市、沖縄大学名誉教授、77歳)

今回ブログ主は敢えて全文を掲載しましたが、やはり一読しても百読しても分かったような分からないような感覚に陥るのは気のせいでしょうか。投稿者の強く訴えたいという気持ちは伝わるのですが、その訴えたい「何か」がいまいち分からないもやもやした気分になります。

そこで今回はブログ主が調子に乗って現代語に意訳しましたのでご参照ください。

日本の言論界の一部で沖縄の2紙は「偏向」しているとの指摘があります。「2紙とも潰せ」という乱暴な意見もありますが、そもそも沖縄の2紙は何に対して偏向しているのでしょうか? 

歴史を振り返ると戦後民主主義教育の一環として平和教育が勢いを増すなかで、その流れに逆らってアメリカおよび日本が再軍備を進めるようになると、その結果平和教育を進める労働者や知識人と政府や保守反動勢力との対立が深刻化します。その中で政府や保守反動勢力は彼らの政策に対して反対する論調のことを「偏向」と決めつけて攻撃するようになります。

ただし戦後民主主義の一環としての平和教育が正しい道であって、政府や保守反動勢力の政策こそが「偏向」と呼べるものではないでしょうか?その流れで見ると「辺野古」や「高江」の反対運動はまさに正道であって、日米の基地政策の理不尽を激しく批判している県内2紙を偏向呼ばわりすることは全くの見当はずれと言わざるをえません。(宜野湾市、ブログ主、年齢不詳) 

いかがでしょうか?投稿者は戦後民主主義の一環としての平和教育を正義として持論を展開していることが分かります。ブログ主は投稿者に対して、思想信条は自由ですが他者に己の信念を伝えるときはもっとわかりやすく表現してくださいと声を大にして言いたいです。1970年代ならこの文体でもよかったかもしれませんが現在は21世紀です。

そしてこんな文章を掲載した沖縄タイムスには本当にびっくりです。文章のプロから見てまともと判断したのでしょうか、それとも大人の事情で掲載せざるを得なかったのでしょうか。なんとなく沖縄タイムスの闇を垣間見た気がします(終わり)。

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