大弦小弦の凋落

今月28日の沖縄タイムスをチェックした際に、じわじわくるコラムが目に留まりましたので速攻で全文を書き写しました。ところで沖縄タイムスのコラム “大弦小弦” はいつの間にかプラス版(WEB)では “鍵付き” になって読めなくなっています。ただし琉球新報の “金口木舌” はデジタル版でも全文公開されています。

正確にはコラム初日は全文掲載しますが、翌日から鍵付きになっているのです。しかも “社説” は全文公開しているところがじわじわきます。いろいろ突っ込みたいところではありますが、読者のみなさん、とりあえず28日付の大弦小弦全文をご参照ください。

大弦小弦

1950年の夏、各国の首都ソウルは北朝鮮の占領下にあった。米軍中心の「朝鮮国連軍」が反攻する。長い糸を引いて降り注ぐ爆弾を、少年は見上げた。米軍機は沖縄から来ると聞かされた。

「幼心に沖縄というのは恐ろしい場所だと思った」。新聞記者や国会議員を務めた李富栄(イプヨン)さん(78)は振り返る。オンラインシンポで同席する縁があり、メールで質問に答えてくれた。

ベトナム戦争で「悪魔の島」にされた沖縄は、その前の朝鮮戦争から加担させられていた。過去だけではない。今も米軍嘉手納基地、普天間飛行場、ホワイトビーチは国連軍の基地を兼ねる。

「朝鮮半島と沖縄は日本が引き受けるべき敗戦国の負担をそっくり抱えさせられた」と李さんは指摘する。日本の代わりに分断と軍事化を強いられた両地が対立させられる不条理。

李さんは軍事政権と対峙し、獄中から当局による拷問殺人の事実を暴いた。映画「1987、ある闘いの真実」でも描かれたその行動が、軍事政権打倒の引き金になった。朝鮮半島と沖縄の関係についても「知る」「つながる」ことの力を説く。

朝鮮戦争勃発から70年の今年も南北は休戦状態のまま、沖縄の基地は固定されたまま、暮れようとしている。両地の苦境は、本来担うべき負債から逃れて安穏としてきた戦後日本の欺瞞を照らし出す。(阿部岳)

一読すればコラムの主旨は理解できますが、朝鮮半島の分断と沖縄の基地固定化は大日本帝国の敗戦のツケであるとの歴史観がベースになっています。ただしコラム執筆者は明らかに

冷戦もまた “国家総力戦” という名の “戦争” である。

東西冷戦は “ソ連” のほうから仕掛けた

という認識がありません。だがしかし、そうせざるを得ない事情があるのも事実で、タイムス社として米軍基地反対を唱えている以上、冷戦を戦争と認識するといろいろ不都合が生じてしまうのです。

沖縄の基地と朝鮮半島の分断は大東亜戦争の敗北のツケではありません。東西冷戦という国家総力戦に巻き込まれたための悲劇なのです。そして東アジアでは冷戦が終わっていないため、現在も米軍基地や朝鮮半島の分断は継続しているのです。

上記コラムは50年前の沖縄タイムスに掲載されても違和感ありません。つまり現在の(高齢化が著しい)購読層だけならば批判にさらされる心配はありませんが、幅広い年齢層が閲覧できるWEB上では長期にわたって公開できる代物ではありません。しかもこのコラムだけではなく、大弦小弦そのものが時代に取り残されているわけであって、

もはや新規読者を獲得する意思も気力もない社風から、結果的に反社会的行為に手を染める社員が出て来るのもやむを得ない

と痛感したブログ主であります。

 

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