先月16日の辺野古沖転覆事故に関して、産経新聞が実にいい “仕事” をしています。前回の記事でも述べたようにブログ主は沖縄二紙の関連記事をチェックしていて、沖縄タイムスと琉球新報双方の記事を比べることで “事故の本質” が伺えてくるあたり、地元記者たちの仕事ぶりは評価しないといけないと実感します。ハッキリいって産経だけが突出している訳ではありません。
とはいっても去年の古謝景春氏の “セクハラ騒動” に比べると “報道の熱量” ははるかに劣ります。その理由は簡単で、南城市の案件は沖縄二紙の担当記者たちはあの手この手で古謝氏から “言質” を引き出そうとしましたが、今回の担当記者たちからは事故の当事者であるヘリ基地反対協議会のメンバーから言質を引き出す姿勢に欠けている感が否めないからです。なお、それをやったのが産経の大竹直樹記者であり、16日の記者会見で「海上運送法に基づく事業登録をしていなかった」件を引き出した質問はお見事でした。
そして産経はもうひとつ素晴らしい仕事をしています。それが17日の「思いはきっと『無謀な工事やめてくれ』」 抗議活動をしている人が花を手向ける」と題した記事であって、この記事のおかげで、辺野古新基地反対運動に携わる人々や沖縄二紙の編集局がこの事故をどのように捉えているかがハッキリわかったからです。
ちなみに同記事は動画が添付されており、ブログ主が最も印象に残ったのは実は冒頭の男性のインタビュー部分であり、試しに全文を掲載します。
亡くなった金井さんと女子高校生の人に慰霊の心で来ていますので
抗議ではなくて慰霊の心で
その辺のところを皆さん、本当にわきまえてください。報道されるときは
沖縄の多くの辺野古基地に反対している人
辺野古新基地に反対している人の気持ちというのは
亡くなった方に対するまずは慰霊の気持ち それが大事だと
ほとんどの方がそう思っていますので
これからどうしていくかはいろいろと考えていくと思いますけれど
辺野古新基地建設に反対するという気持ちは変わらないです
誰にとっても変わらないです。
ただこの事件に関しては
まず亡くなった方本当引その方々に
あと沈没して事故に遭われた方々
大変な思いをしたと思いますので
そういう方々に対して
心から慰霊をささげたいと思います。
この書き写し全文から男性の亡くなった方々に対する深い悲しみは理解できますが、ただし彼が述べた “慰霊の心” に違和感を覚えた読者もいらっしゃるかと思います。それはつまり彼は「国が辺野古新基地建設を強行しなければ、このような惨事は起こり得なかった。なので彼らは “国策の犠牲者” である」と考えているからなのです。そして (お気づきかと思われますが)”国策の犠牲者” との捉え方はヘリ基地反対協議会のメンバーや沖縄二紙も同じなんです。だから報道も(とりあえず取り上げましたとの)テンプレ化が否めないのです。
対して産経新聞は今回の事件を “人災” の観点から報道しています。しかも大竹記者が知床観光船沈没事故の取材に携わった方(下記参照)なので、今回の事件においてはキレッキレの仕事ぶりです。
筆者が事業登録の有無にこだわったのは、社会部記者時代に北海道・知床半島沖で発生した観光船沈没事故を取材し、二度と悲惨な事故を起こしてほしくないとの遺族の思いに接したからだ。乗客乗員26人が死亡・行方不明となった令和4年4月の知床観光船沈没事故。福岡県の遺族の男性は「厳格なチェックが必要だ」と訴えていた。こうした遺族らや世論に応える形で海上運送法が改正され、転覆した抗議船のような小型の非旅客船にも法の網がかけられた。有償・無償を問わず登録が義務付けられるようになったのである。(令和8年4月4日付産経新聞沖縄考(64)より)
つまり辺野古沖の転覆事故は “人災” と捉える人たちと、”国策の犠牲者” と捉える “市民”がいるわけで、しかも “市民” のほうが圧倒的に分が悪い。ただし彼らは「なぜ自分たちがここまでバッシングされているのか理解できない」というのが本音ではないでしょうか。それはつまり産経新聞の仕事によって辺野古新基地反対運動に携わる”市民” と一般市民の間の
常識が違う
ことが(改めて)浮き彫りになったからであり、しかもそれを認めることができないとのジレンマに陥っているのです。ちなみに亡くなった女子高生のご遺族の方が産経新聞側に付いた(つまり人災の犠牲者だと捉えているということ)ことがトドメになりそうですが、”市民” の方々は(そのことに対し)内心反発しているだろうなと余計なことを思いつつ今回の記事を終えます。