(続き)今回からは平成23年(2011)11月27日における「旭琉會(ぎょくりゅうかい)」の誕生からの糸数會長の経歴を紹介します。ただしここからは公開された情報が極めて少ないため、沖縄2紙のお悔やみ広告など限られた史料を元に作成してますのでご了承ください。
令和元年(2019)7月12日、先代の富永清會長が亡くなられた時の「お悔やみ広告」を確認したところ、糸数さんの掲載順はトップの花城松一さんから数えて12番目です。なお当時の肩書は「旭琉會会長秘書/三代目富永一家総長」であり、知念秀視、狩俣重三さんと共に花城松一会長代行の元 “次世代の旗手” として組織を支えていたことが伺えます。
令和04年(2022)2月10日、永山克博氏(現在の役職は特別相談役)が暫定代表として組織のトップに就任します。そして同年7月21日の富永夫人のお悔やみ広告から、糸数さんの掲載順はトップの永山克博氏から数えて7番目、ただし役職は理事長(推定)であり、実質的に組織のNo2扱いであったことがわかります。
そして令和07年(2025)2月8日、ついに2代目會長の座に就任します。名実ともに組織のトップとして君臨することになりますが、ここで糸数會長の “功績” を振り返ると、3代目富永一家総長就任後、沖縄ヤクザの “融和の象徴” としての役割を全うした点に尽きます。事実、旭琉會が発足してから今日に至るまで我が沖縄では暴力団抗争は起きていません。
たしかに最盛期に比べると組員数の減少傾向に歯止めは掛かっていませんが、第六次沖縄抗争の苛烈さを鑑みると、業界内で平和を演出できたのは素晴らしい成果以外何者でもありません。
ここまでざっと糸数會長の生涯を振り返ってきましたが、ブログ主が実感したのが “人との出会いの大切さ” です。糸数さんは青年時代には同郷の先輩である富永清さん、上江洲丈二さん、出所後は知念秀視さんや狩俣重三さん、そして知念さんの親である花城松一さんなどヤクザ人生の節目で(業界内の)素晴らしい人材に巡り合えているのがすごく印象的です。
改めて(裏社会においても)人の上に立つには人との出会いが最も重要であることを実感しました。
謹んでご冥福をお祈りします。(終わり)
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【追記】令和08年5月1日付沖縄タイムス5面(オピニオン欄)に(直接関係ありませんが)興味深い読者投稿(86歳男性)が掲載されていました。
今、僕の脳裏にこびりついているのが、アメリカ、ロシア、ウクライナ、イランの戦争で、ミサイルが空高く飛んでいって容赦なく、次々と建物を木っ端みじんに破壊していく、悲惨で残酷な心ない人間間の野蛮な光景である。
もう、これが人間のやることなのか、武器という破壊力を持って国と国とが徹底的に殺しあう戦争を、テレビなどで目の当たりにしてあぜんとするのである。
そこに住む人々を殺害してまで、人間は世界を支配したいのか。まさにその権力者たちは人間なんだろうか、大多数の人を殺した責任は。
今や国々は支配力を強め、軍事強化を強め、世界は互いに戦争体制に突入しているように思われる。平和を求める人々は愚かな者なんだろうか。人間だからこそ平和を求め、多大に助け合い、愛し合って幸せな生き方をしたいと求める。真の人間に立ち返るべきだ。(沖縄市)
至極まっとうな内容なんですが、ちなみに題字は「平和望む真の人間に戻って」であり、このコラムを一読したブログ主は
糸数真さんのことかな(すっとぼけ)
とついうっかり余計なことを考えてしまった次第であります🙇♂️🙇♂️🙇♂️