反自衛隊感情と沖縄

先月30日、沖縄タイムスと琉球新報にて去年9月に全島エイサー祭りに参加した自衛隊第15旅団の参加目的が当初説明とは違っていた件を報じていました。ちなみにブログ主は復帰後の反自衛隊闘争の記事を断続的にチェックしてるので、我が沖縄における一部市民団体の自衛隊に対する “感情” は理解できますが、今回はそのあたりの歴史的経緯をまとめてみました。

その前に現代における我が沖縄の自衛隊論争は、「自衛隊個々の隊員やその家族を対象にするのではなく、自衛隊という組織を批判する」が建前になってますが、ここで注意してほしいのが、市民団体が自衛隊を “批判” するのは、国防の観点から組織として良し悪しをチェックし、自衛隊の存在をよりよくするための発言ではなく、自衛隊は “違憲” であるとの(自分なりの)憲法判断から組織に対する意見を述べることにあります。

そうなると憲法違反である自衛隊が沖縄に駐留すること自体がおかしい、ましては広報活動なんて論外だし、(沖縄タイムスの社説にあるような)住民に対して嘘をつくなんて言語道断、それゆえに今回の報道は沖縄2紙の購読者には案外刺さる内容になっていると思います。

ここで我が沖縄社会に「自衛隊は憲法違反である」との命題がどのように浸透していったかについて言及すると、実はこの件(結果的に)屋良朝苗さんに責任があります。経緯としては昭和43年の琉球政府主席選挙において、屋良朝苗氏は復帰に対する方針として「即時無条件全面返還」のスローガンを掲げて当選しましたが、主席就任後は日米に対して(対立候補が主張していた)施政権返還優先で復帰交渉を進めます。

もちろん屋良氏の支持団体から不平不満がでましたが、その際に「日本に復帰すれば日本国憲法が適用され、本土並みが実現される(つまり米軍基地の負担も本土並みになる)」という論法で復帰交渉を進め、昭和47年5月15日の本土復帰を迎えます。

だがしかし、復帰後も在沖米軍基地の負担が本土並みになる気配はなく、米兵による凶悪犯罪も発生し(ベンジャミン事件)、そしてトドメは同年10月の自衛隊配備で、結果的に我が沖縄の軍事負担が増えてしまったんです。

そうなると「屋良死なす!」になってもおかしくないのですが、なぜかそうならず、県民のやり場のない怒りの矛先が自衛隊に向かったのです。つまり

「憲法違反である軍隊組織(自衛隊)は出ていけ!」

という命題がこの時 “爆誕” したのです。そして怒りの感情全開なので、当時の自衛隊に対する “批判” は隊員個人や組織の区別がありません。新聞にこんな投書が掲載される有様です(昭和48年1月25日付琉球新報朝刊9面)。

当時の反自衛隊闘争は現代基準で見るとハイレベルな人権無視案件ですが、時間の経過とともに「組織に対する批判と、個々隊員や家族に対する非難は別」という流れになって現代に至ります。

今回の沖縄2紙の報道は「自衛隊は違憲である」との前提から読み解くと確かに筋が通ってます。だがしかし現代では政府や自衛隊見解を支持する県民も多数いますので、自衛隊の存在を認める人から見ると「軍隊というただそれだけで民間のイベントに参加することを批判するのは職業差別」という結論になります。つまり我が沖縄における自衛隊(に関する)論争は依って立つ前提が違うので建設的な議論なんて無理無理、容認派、否定派それぞれ ”お気持ち” を表明しづつける不毛な論争にならざるをえません。

だがしかし、ひとつだけ確実に言えるのは、令和の我が沖縄社会では

自衛隊を批判する市民団体より自衛隊のほうがはるかに信用されている

点です。それゆえに今回の沖縄2紙の記事によって、今後大規模な反自衛隊闘争が起きるわけもなく、数か月後には忘れ去られた案件になること間違いないと確信して今回の記事を終えます。