
今回は取り上げようかちょっと迷いましたが、沖尚の夏の甲子園優勝に水を差すニュースが報じられていましたので、今回はブログ主の “お気持ち表明” との形で高校野球の応援について取り上げます。
既にご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、8月27日付沖縄タイムス1面に「高野連、チョンダラー注意」と題した記事を掲載し、ネット上で賛否両論の反応がありました。ブログ主も記事をはじめできる限り目を通しましたが、ひとつ気になったことがあります。それは夏の甲子園大会があまりにも巨大な存在なため、本来は「学校対抗の球技大会」というアマチュアの大会である点に誰も気に留めていない点です。
ハッキリ言って高校の野球大会なので、主催者が「高校生らしさ」をテーマに大会運営するのも当然なんです。そして大会フィールド内では参加校および応援者はその施行規則に従って行動するのも当たり前であって、今回の沖尚OBたちの応援スタイル(チョンダラー)はそれに反してしまったわけです。
だから「沖縄の伝統ガー」とか言っても意味がないですし、「伝統アピールしたければ他所でやってください」というのが大会運営者の本音で間違いありません。それにあのチョンダラーのスタイルは(まもる君もふくめて)、ブログ主が現地観戦した限り、沖縄大会では一度も見たことありません。つまり渦中の沖尚OBたちは沖縄大会ではダメな応援スタイルを甲子園でやらかしてしまった訳です。
ただし今回の件で一つ気になったのは、決勝戦での「まもる君」の応援スタイルを沖尚スタンドが容認した点です。試合中の出来事なのでどうしようもなかったのかもしれませんが、「1点でも多く取れるように精いっぱい応援」したいなら、ペイントなんかする必要ないんです。ましては甲子園決勝の応援席は「沖縄の特色をPRできて良かった」場所ではありません。まもなく40歳になる社会人が、これらの区別ができなかった点にブログ主は軽いショックを受けました。
ちなみに同記事には他県の袴姿の応援を例に挙げて、「従来から他県の応援団にみられるはかま姿の応援は、日本の伝統を今に伝える。はかまが日本の民族衣装なら、チョンダラーが羽織る芭蕉布は沖縄の民族衣装で、好ましくないと断じる合理的な理由はない」と断じてますが、この件はあくまで「それは(この記事を書いた)あなたの感想でしょう」のお話であって、「袴は民族衣装ではありません」と高野連が判断したらそれでOKなのです。理由は大会運営に関係のない第三者の “解釈” より、長年大会運営に携わってきた高野連の判断が遥かに “合理的” だからです。そして袴着用の応援がグレーゾーンで見逃されてきたなら、その点を徹底取材した上で記事にするべきなんです。
この案件については、各自の思想信条に従って様々な意見があると思われますが、ブログ主は沖縄タイムスが報じるような “差別案件” ではないと確信しています。
最後に夏の高校野球は県大会も含めて熱戦が繰り広げられました。そして大会に参加した高校球児たちをブログ主は心からリスペクトしていますが、その球児たちにいいたいことは、今回の案件を「差別案件」と断じ、それが批判されると「『高校生らしさ』の押し付けを廃し、合理性の観点から議論し直す時だと思う。」と、相手の立場を考慮せず自分にとって有利な結論に持ち込もうとする、
みっともない大人になるな
ということです。そして10代の若者たちの反面教師が沖縄には思いのほか生息しているんだなと痛感して今回の記事を終えます。