公同会運動の考察 その1

sho_in

今回から1896年(明治29)に旧王族を中心に結成された政治結社「公同会」と、彼等を中心とした自治権獲得運動について連載します。この運動は「公同会事件」として琉球・沖縄の歴史教科書に必ず記載されていますので、ご存じの方は多いかもしれません。ただし事件に至るまでの経緯と、その背景を調べると、実に異質極まりない案件なので、ブログ主が調子に乗って詳しく説明します。

その前に現代の歴史書が公同会運動をどのように捉えているか、沖縄大百科事典(沖縄タイムス社、1983年刊行)を参照すると

公同会運動 政治結社〈公同会〉を母体として旧支配階層が特権的地位の確保に努めた運動。(中略)公同会運動は(廃藩)置県以来一貫して新支配機構に反対していた旧支配階級が、日清戦争以後の新しい事態のなかで、自己の特権的地位を確保しようとする焦慮からでた復藩的な特別自治体制要求の運動であったといえる。 

とあります。その見方は確かに間違いではないのですが、ではこの運動を無理やり現代の政局に例えると

沖縄において自民党の一部と共産党が連立して選挙協力を行い、元知事の仲井眞弘多氏を擁立して知事選を戦い、当選した暁には安倍内閣の政策に一致協力をする代わりに沖縄に特別の自治制度を施行する運動。

になります。上記の仮定は絶対にありえないのですが、廃藩置県後の琉球士族間の確執を顧みると、公同会が結成されて開化党と頑固党が連携する事態は自民党と共産党の選挙協力以上にありえない出来事なのです。この異常な連立が成り立った件について現代の歴史家の態度は驚く程冷淡ですが、公同会運動は日清戦争以後の沖縄社会の激変を考える上で格好の素材なので、ここでブログ主が大胆な仮説をもとにこの事件について考察します。(続く)

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