沖縄県における人口の増減が、高校野球に与えた影響を考えてみよう。

現在ブログ主は、沖縄県における人口の増減が社会に与えた影響をいろいろと考察していますが、今回は番外編として人口増減が戦後沖縄の高校野球にどのような影響をもたらしたかについて調子に乗って説明したいと思います。

昭和20年の沖縄戦の敗北後、我が沖縄はアメリカ軍の占領行政時代を経て日本に復帰することになりますが、その間にベビーブームが2回ありました。昭和20~25年と昭和45年前後になりますが、この点は日本本土と同じです。面白いことにベビーブーム世代が高校球児になったときに、高校野球の全国大会において好成績を挙げているのです。

たとえば昭和25年(1950)生まれの世代が高校3年生になるのが昭和43年(1968)です。この年はご存知の方も多いでしょうが、興南高校が夏の全国高等学校野球選手権大会でベスト4に進出する快挙を達成しました。

昭和45年(1970)から昭和50年(1975)にかけて、沖縄県においては人口が10%も増加しているのですが、この時に生まれた世代が高校三年生になるのが昭和62年(1987)から平成4年(1992)で、当時の成績を振り返ると

・昭和62年(1987):海邦国体で沖縄水産高校が準優勝。

・昭和63年(1988):夏の全国高等学校野球選手権大会で沖縄水産高校がベスト4に進出、京都国体で優勝。

・平成2年(1990):夏の全国高等学校野球選手権大会で沖縄水産高校が準優勝。

・平成3年(1991):夏の全国高等学校野球選手権大会で沖縄水産高校が準優勝。

などの実に輝かしい成果を上げております。なお平成元(1989)夏の全国高等学校野球選手権大会に出場した石川高校が、青森県代表に敗北(青森県勢20年ぶりの初戦突破)や、平成4年(1992)の春のセンバツに出場した読谷高校が仙台育英高校相手に11-18 のスコアで敗北するオチもありますが、昭和45年以降のベビーブーム世代が沖縄の高校野球のレベルアップに果たした役割は極めて大きいものがあったことが確認できました。

2度のベビーブームの結果、この世代の高校球児たちが全国大会で素晴らしい成績を残しているのです。意外なところに人口増減と高校野球の成績との関連性を確認できましたが、実は沖縄の高校野球が真の意味で全国の高校野球ファンに認知されたのは若者人口の減少がはっきり確認できる平成12年(2000)あたりからです。

具体的には平成11年(1999)の春のセンバツで沖縄尚学が準決勝でPL学園に勝利し、そして初優勝を遂げてから始めて野球強豪県として認められたのです。平成の時代は若年人口層が徐々に減少するも、それに反比例して高校野球が徐々に強くなり、ついに平成22年(2010)興南高校が春夏連覇を達成します。

つまり平成に入ると昭和の時代とは違ったパターンで県内の高校野球のレベルが上がっているのです。その理由は少年野球やボーイズリーグ、および高校野球の指導者のレベルが上がったからと推測しますが、原因究明は今後の課題として、いったんこの話題を終了します。

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