琉球・沖縄の歴史の概要その6

薩摩おいどん側はそれこそ難癖をつけて尚寧くん*とそのスタッフの非を責めます。そして1609年(慶長14)に琉球に侵攻*します。これが薩摩入りで琉球側は敗北、尚寧くんは薩摩に連行されて2年間もPCを利用できなくなります。その間に薩摩おいどんはPCを徹底的にチェックして年間でどの程度利益を上げることができるかを算出します。

*尚寧(しょう・ねい:1564~1620)尚円王統7代目の王。在位は1589~1620年の31年間。
*財政が悪化しているにも関わらず、莫大な費用がかかる渡航作戦を敢行するところに戦国大名の怖さを感じます。「島津に暗君なし」とよく言われますが、現代のセンスからすると無茶苦茶もいいところです。

そして尚寧くんに「あらかじめ定めた額を支払らったら従来通りPCを利用してよい」と通告して琉球に送り返します。尚寧くんはPCユーザーとしての地位は確保できたのですが、薩摩おいどんによってその利用には大きな制限*をかけられてしまうのです(続く)。

*具体的には薩摩に対する貢租の義務、起請文への署名、掟15か条の遵守、ほか奄美大島の割譲など琉球国にとっては屈辱的な内容です。ちなみに起請文は「今回はこれまでのお前らの態度に問題があるからやむを得ず侵攻した。ただし特別に情けをかけて生かしてやるのでありがたいと思え。今後は俺たちに逆らうなよ。」の内容で、国王尚寧は感謝の意を添えて署名せざるを得ませんでした。
*掟15か条に関しては後日記載予定。貿易に関する項目が多いのが特徴です。
*薩摩への貢租義務は大まかに言うと、琉球国内を検地して知行を約9万石に認定して、其のうち年間1万石相当を納める内容。薩摩のことは御国許(おくにもと)、薩摩藩に収める貢租のことは仕上世(しのぼせ)と呼びます。

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