続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編

前回までに、19世紀末の国際情勢と琉球藩の経済力では、王国として独立することは極めて難しい件を説明し続けました。では21世紀において沖縄県が独立して国家として運営できるかを(冷やかしではなくて)真面目に検討します。

現在の沖縄県は、昭和47(1972)年5月15日にアメリカより行政権を日本に返還された形になっています(琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定、以下沖縄返還協定)。それまではアメリカによる占領行政の時代でしたが、アメリカにとって沖縄は戦争の結果得たもの、つまり “戦利品” なのです。その戦利品を日本に譲渡して現在の沖縄県が誕生しましたが、その際に諸外国(とくに中華人民共和国、台湾民国)が大クレームを出さなかったため、沖縄県の設置は国際的にも認知されることになります。

この流れは、明治12(1879)年の廃藩置県のときとは違います。廃藩置県の際は琉球藩の上級士族が明治政府に対して抵抗し、清国も琉球処分に対して反対します。最終的に沖縄県の設置が国際的に認知されたのは明治28(1895)年の日清戦役で日本が清国に勝利して後になります。

沖縄県の設置が国際的に認知されたのは、

当時世界最強のアメリカ合衆国と経済成長著しい日本との国際合意に反するだけの力を諸外国が持っていなかったからです。

しかも平成3(1991)年にソビエトが崩壊してヨーロッパにおいて冷戦が西側の勝利によって終結すると、沖縄返還協定がさらに磐石のものになり、現時点において沖縄県が独立できる国際環境は皆無と言っても過言ではありません。

沖縄の行政権が日本に返還されたもう一つの理由は、地域住民の多数が「本土復帰」を熱望していたことです。この点が明治12(1879)年の廃藩置県、あるいは現在の北方領土問題との相違点ですが、まとめると

・日米の最強国の合意で、両国ともに冷戦の勝利者であること、

・当時の地域住民の多数派が復帰を熱望、

・しかも現時点でも「復帰してよかったが80%」とのアンケート結果が出る状態、

で沖縄独立の環境は、内部からも国際環境からも限りなくゼロに近い状態です。そのような環境で “琉球独立” や “自己決定権” を主張する人たちは、ある意味すごい根性の持ち主と思いますが、ブログ主もこの手のじわじわくる “ガバガバ理論” は大好きなので、将来において沖縄が独立するにはどのような社会環境、あるいは国際情勢の変化が必要か、調子に乗ってくそ真面目に考察します。(続く)

【補足】戦争で失った土地を交渉で取り戻したことは、歴史の奇跡です。沖縄県の内部にはまだ “米軍基地” の存在がありますが、薩摩藩の戦勝の結果、270年近く敗戦のツケを支配地域の住民に背負わせた尚家の琉球国と、沖縄戦から27年後に敗戦のツケを半分は取り戻した日本政府では、どちらが地域住民のためになったか、答えは明白です。だからこそ現代の沖縄県では、復帰してよかったの声が多数を占めるのです。