続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 番外編3

yasa

前回の記事において、現在の沖縄県が独立するための必要条件として

・戦後世代が抱える被差別意識を超える、琉球独立のための新しいイデオロギーの作成。

・東アジアにおいて中国共産党が冷戦に勝利すること

の2点を挙げました。それぞれについて説明します。

先ずイデオロギーの件ですが、明治12年(1879)年の廃藩置県を阻止できなかったか、昭和47年(1972)の本土復帰が何故成功したかを考察すると

〈廃藩置県の場合〉

・琉球処分に対する抵抗は明治8年(1875)から4年間、琉球藩庁の上級士族を中心に行われるも、階層の垣根を越えた猛烈な反対運動が行われなかったために、最後はあっさりと琉球藩が廃されてしまったこと。

・藩全体のレベルで反対運動が無かった理由は、当時の琉球社会において「尚家の支配を絶対化するイデオロギーが存在しなかった」ために、ついに社会階級間の連帯感が醸成できなかったこと。

・それゆえに当時の上級士族たちは、清国に支援を依頼して処分反対運動をせざるを得なかったこと。

〈本土復帰の場合〉

・アメリカ軍の占領行政の時代において、「沖縄は日本である」という認識が一般化していたこと。

・祖国復帰運動も、一部の知識人などの主導ではなく社会のあらゆる階層から幅広い支持を得たこと。

・当時の沖縄社会において、住民の多数が復帰支持だったため外国の支援を得る必要がなかったこと。

になります。両者の一番の違いは、社会階層の垣根を越えて支持される基本思想の有無で、琉球処分の場合はそれがなかったために、最終的に日本国へ併合されてしまいます。

アメリカ軍の占領行政時代の1959年(昭和34)に、『沖縄の歴史』が刊行されていますが、その序文において

これは1955年の1月から58年の3月にわたり、沖縄タイムス紙上に「沖縄民族の歴史」の題で発表したものである。刊行にあたり全篇にわたり筆を加え、著名を「沖縄の歴史」と改めた。フォルクとしての沖縄民族は曾て存在したが、今日沖縄人は、ナチオンとしての日本民族の一部であり、これとは別に沖縄民族というものがあるわけではない。誤解を与えるといけないと思ったので、民族の二文字を削ることにした。

とあります。著者の比嘉朝潮先生が「今日沖縄人は、ナチオンとしての日本民族の一部であり」と明記した理由は、当時の沖縄の人々の間で、「沖縄は日本である」という認識が一般化していたからです。そしてその認識が昭和47年(1972)の本土復帰を導く決定打になります。

現代の独立運動は、アメリカ軍の占領行政時代の「沖縄は日本」の認識を否定することから始まり、そして社会のあらゆる階層に支持される基本思想を打ち立てる必要があります。ただし現時点では、1960年代の戦後世代のイデオロギーを借りている状態で、戦後世代は決して「独立することで差別からの解放」を志向している訳ありません。問題は、独立を主張している人たちに新しいイデオロギーを創出する能力があるかどうかですが、ブログ主にはその能力があるとはとても思えません。この点が現在の独立運動の最大の欠点になっているのです。(続く)

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