続・琉球藩の時代 もしも大日本帝国が琉球王国を引き取らなかった場合のお話 その2

King_Sho_Tai

今回は、もしも琉球藩が日本の帰属を離れて、清国の外藩としての琉球王国が復活した場合をシミュレートします。政治的には慶長14年(1609)年以前の琉球国の状態に戻ることになりますが、17世紀初頭と19世紀末では、琉球国内の社会環境や国際情勢が大きく変貌しています。そのような状況で、慶長以前の状態に戻った場合、琉球王国の運営はどのようになるのでしょうか。

日本の帰属を離れた後に、真っ先に琉球王国が取り組むべき課題は軍事力の整備です。清国と琉球国との関係は2年に1回の進貢のみで、王国の内政や治安に関して清国は関与しないのが原則です。外藩扱いではありますが、琉球王国は半ば独立国として清国以外との諸外国とお付き合いする必要があります。

そのためには軍事力の整備は必須です。ただし琉球国は慶長以降、軍事や外交を日本(薩摩藩)に依存する形になっていて、200年以上独自の軍事力を保持したことがありません。清国に使節団を派遣、あるいは西洋列強に使節団を派遣して近代的な軍事力を1から作り上げる必要があるのですが、問題は琉球国の産業経済があまりにも脆弱で、近代的な軍事力を整備できない可能性が極めて高いことです。

近代的な軍事力は、15~17世紀に比べると軍事費の桁がちがいます。理由は、扱う武器の性能が向上したためで、特に海軍力の整備にはとてつもない金がかかります。琉球王国は諸島から構成されているため、海上警備力を向上させることが王国を維持するための絶対条件になるのですが、19世紀の琉球王国の経済力は海軍どころか、海上警備隊を運営することすら不可能なほど悲惨な状態です。

琉球王国が日本との帰属を離れることは、明治政府に対して貢租を納めなくてもいいことを意味します。そうなると王国にとっては財政負担の軽減になるのですが、ただし19世紀の現実がそれ以上の財政負担を琉球王府に突きつけることになります。結果として王府側は軍事力を整備するために、税率を下げるどころか負担増すら検討せざるを得なくなります。もちろん貢租義務がある百姓階級に対して、今まで以上の税負担を強いることになり、最終的には軍事力の重みで王国が破産する運命を免れないとしか予想することができません。(続く)

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