とある Facebook の投稿に対する琉球新報社の態度について思ったこと その2

3月21日の宮古市議会で、石嶺香織議員に対する辞職勧告決議が賛成多数(賛成20、反対3)で可決されました。同市議会で辞職勧告決議が可決されるのは初めてとのことです。理由は「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」とありますが、石嶺議員は勧告を拒否しました。その件に関連して、22日の沖縄タイムスに興味深い投稿が掲載されましたので、全文を掲載します。

~資料 斉藤美喜 軍隊の本質 検証が必要~

宮古島市議に過剰な圧力

3月9日、宮古島市の新人市議石嶺香織氏がフェイスブックに、陸自が米軍の演習に参加した際の記事を添付し「海兵隊からこの様な訓練を受けた陸自が島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行が起こる」と投稿した。この言葉にネットが炎上し石嶺市議は「言葉足らずな表現から様々な誤解を生んだ」とネット上で釈明、12日に県紙2紙と宮古テレビの取材に、明確に撤回と謝罪をしている。

これに対し、14日の宮古毎日新聞で「自衛隊関係者の法的措置の表明も」「議員辞職か」などの言葉が記事として出た。ネット上でも自衛隊への職業差別との言葉が繰り返され、「首を晒す」などの自衛隊関係者と見られる悪質な投稿もある。

石嶺市議は当選前から取り組んでいる宮古島への陸自配備を止める活動に積極的に動き、地下水審議会の開催に奔走、2月の防衛省等との政府交渉にも圧倒的な突破力を発揮していた。

今回の炎上は「自衛隊が来たら婦女暴行が起こる」という決めつけた言葉に対して狙いを定めたようなバッシングが瞬時に広がり、自衛隊の災害救助活動をリスペクトしている若い人たちにも拡散していった。

しかし考えてみたい。市議という立場の前に、沖縄に住む女性として、離島の母親として、小さい島に800人の自衛隊が配備されることに肌感覚で恐怖と不安があるということを。

また忘れてはならないのは、戦時中、宮古島に軍隊が駐留することになり17ヶ所の「慰安所」が設置された歴史があることだ。沖縄本島で繰り返される数々の米軍による事件、1995年の少女暴行事件、そして何より忘れられないのは昨年、屈辱の挙句に殺害された若い女性の事件。心に染みついた軍隊への恐れが市議の「暴行事件は起こる」発言のもとになっている。

基地問題の核心的部分が女性への性暴力であることを、沖縄に住む私たちが見失うことがあってはならない。

南西諸島にミサイルが配備された際の標的になる危険性、騒音、地下水汚染、さまざまな不安があるが、日々の暮らしの中で、小さい者、弱い者が犠牲になること、おびえながら暮らすことこそ防がなければならない。その危険性をそのまま口に出してしまった市議を過剰に責め立て失職に迫るやり方は、弱者を封じ込めようとするものであり、危険だ。

軍隊とはそもそもどのような集団なのか、いま一度私たちの歴史を振り返り、検証する必要がある。(宮古島市、59歳)

いろいろ突っ込みたい部分がありますが(とくに太線の部分)、この投稿のポイントは沖縄タイムス社が宮古島市議会の辞職勧告決議を良く思っていないことに尽きます。正面から石嶺市議を支持することができず、「読者からの投稿」という形で事実上支持を表明したのですが、このパターンは琉球新報と同じと言えます。

県内二紙は前述したとおり「自衛隊(あるいは米軍)に対する侮辱的な表現は、誤ったらそれで終わり」という姿勢を明確にしたと言っても過言ではありませんが、軍人に対して侮辱的な表現を許容(あるいは黙認)する報道機関が存在することが異例中の異例で、そのことに対して誰も突っ込まないことがブログ主には不思議でなりません。

軍人にとって一番大切なのは何か、それは「名誉」です。すべての軍隊は「国防」を前提に組織され、彼らはその任務を全うするために教育されています。この点は自衛隊も米軍も、あるいは人民解放軍、または朝鮮人民軍も共通で、「我々は一般市民とは違い、国を守る義務を全うしなければならない」という軍人のプライドが軍隊の強さを支える源なのです。

この点がテロリストから構成される武装集団との違いで、テロリストには名誉は必要ありません。目的を達成するには手段を選ばないのが彼らの本質です。だから地域住民からは蛇蝎のように嫌われる宿命にあります。上記の投稿者は国家が管理する軍隊とテロリストから構成される武装集団との違いの区別がついていません。おそらく石嶺市議もそうでしょう。

それゆえに彼女とその支援者は「必ず婦女暴行事件が起こる」という発言の致命的な失敗が理解できないのです。国を守る軍隊および軍人に対してプライドを傷つける行為および発言は、一般市民であっても本来は慎むべきであって、ましてや政治家が行うのはタブーです。彼女は市民活動家のノリが未だに抜けないため、このタブーを犯してしまったのです。だから宮古島市議会が辞職を勧告したのですが、国家が管理する軍隊とテロリストから構成される武装集団との区別がつかない彼女とその支持者には、なぜ宮古島市議会が辞職勧告を決議したか永遠に理解できないのではないでしょうか、極めて残念なことです。

その点を踏まえて、我が沖縄県がかつて自衛隊にどのような仕打ちを行ったかを次回から記載します(続く)。

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【参照】

下記のエピソードは軍人にとって名誉がどれほど大切かを暗示していますのでご参照ください。1968年に長谷川慶太郎氏が東ドイツを訪問したときのエピソードで、当時の東ドイツ軍はソ連軍によって管理された状態にありました。極めつきは実弾射撃演習後に、東ドイツ軍は薬きょうを拾い集めてソ連軍に提供しなければならない(弾薬一つすら自由に使えない)程の屈辱的な扱いを受けていたのです。彼ら東ドイツ軍がソビエトによってプライドが傷つけられた状態であったことを前提に下記のエピソードを参照すると、慶太郎氏の慧眼の凄さと、軍人にとって名誉が何よりも大切であることを理解していただけるはずです。

~長谷川慶太郎著 総合比較 日本の国防力 昭和55年刊行から~

ソ連軍に囲まれた中で、民族統一を願う東ドイツ軍人

朝鮮は第二次世界大戦の事後処理として、同一民族でありながら、南北二つの国家に分断され、ついには戦火を交えるという限りない悲劇を味わった。それは、まさに東西両陣営の接点であるがゆえの悲劇といえる。

だが同じような条件下におかれながらも、東西ドイツは、同一民族間で決定的な悲劇を巻き起こすことはなかった。私は東ドイツ外務省とのある折衝のおり、詳細は省くが、偶然、東ドイツ軍の兵舎を訪れる機会があり、そこでその一つの理由を見たような気がした。

現在の東ドイツの総軍事力は戦車2個師団、歩兵4個師団であり、きわめて弱体である。その弱体な東ドイツ軍を22個のソ連軍が囲んでいる。すなわちポーランドと東ドイツの国境に2個師団、東西ドイツ国境を中心としたドイツ国内に20個師団である。これらはすべて第一級師団であり、ソ連の最精鋭部隊である。

東ドイツ軍は、前も後ろもソ連軍に囲まれ、きちっと押さえられている。つまり、東ドイツにいるソ連軍は二重の役割を持っているのである。一つは、西側に対する進攻作戦の最先頭に立つこと、そしてもう一つは、東ドイツ国民がソ連に対して反乱することを防止する役割である。

したがって、ソ連は東ドイツに武器の生産を許さず、東ドイツ軍が装備している武器は、すべてソ連製である。だが訓練は、完全に旧ドイツ軍のそれが行われており、軍服も階級章も、プロシア軍時代からの伝統を守りつづけ、ナチスドイツ時代とそっくりそのままであった。しかし、武器以外にただひとつ、ソ連型のものを身につけていた。それは鉄カブトである。私はこれを見た時、西ドイツの兵士を思い出さざるをえなかった。彼らは、鉄カブトだけが旧ドイツ軍のもで、軍服その他は、完全なアメリカ式だったからである。

つまり、東ドイツの兵士は頭(鉄カブト)がソ連、体(軍服)がドイツ。西ドイツの兵士は、頭がドイツ、体がアメリカなのである。これに気づいた私は、東ドイツの将校たちの歓迎に対するお礼のスピーチの中で、次のような話をした。

「私たち(日本人)の祖父や曽祖父は、かつて、あなたがた(ドイツ人)のおじいさんたちから学んだ軍事知識をもって、日露戦争でロシア軍を敗退せしめた。まさにドイツ軍の技術、知識そして軍人精神は素晴らしいものであり、われわれの先生である。

今日、私はあなたがたの軍隊を拝見し、その伝統が、今なお脈々と受け継がれているのを知り、喜びに堪えない。ただひとつ、不幸なことは、“二つのドイツ”が存在することである。

私は、東西ドイツの統一は急がなければならないと確信した。なぜなら、あなた方の姿にその悲願を見るからである。つまり、東ドイツ軍の体と西ドイツ軍の頭を一つにすれば、伝統ある旧ドイツ軍の姿にただちに戻るからである。私は、このような日が一日も早く来ることを祈ってやまない。」

ソ連軍将校が監視する中での歓迎パーティであったが、彼ら東ドイツ軍将校たちは、軍靴を床に打ち鳴らして、私の話に応えてくれたものである。東西ドイツ人は、ともに民族統一の希望を強く持っている。東ドイツ軍の本当の敵はソ連軍なのである。(中略)。

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