とある Facebook の投稿に対する琉球新報社の態度について思ったこと その4

20170331

3月9日の石嶺市議の Facebook 上での舌禍から始まった一連の騒動を省みると、現在の沖縄においてもまだ根強い軍隊の本質への誤解と、自衛隊および自衛官に対する差別感情があることがハッキリわかります。この差別感情は歴史を顧みると、沖縄県民は未だに平等の観念を実感していないことに行き着くのですが、

・沖縄戦およびアメリカ軍の占領行政を経験したことで、軍事に対する潜在的な恐怖心がぬぐえない

・自衛隊は憲法9条違反である

という考え方が根底にあることは間違いありません。下記に前文を掲載しますが、3月27日の沖縄タイムスに掲載された「大弦小弦」にも上記の発想が伺えますのでご参照ください。

~平成29年3月27日 沖縄タイムス 大弦小弦より~

自衛隊を「暴力装置」と呼び、民主党政権の仙谷由人官房長官が批判を浴びたことがあった。「侮辱だ」と責められ、謝罪しても受け入れられず、問責決議に至った。

物騒な響きだが、別に悪口ではない・国家が備える実力を指す。自衛隊そのものだ。なぜ問題なのか、最後まで分からなかった。

宮古島市議の石嶺香織氏がネットに「陸上自衛隊が来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起きる」と投稿した件も似た経緯をたどっている。市議会で辞職勧告決議が可決され、一般質問の機会を奪う市議の一斉退席まで。

「絶対に起きる」というのは言いすぎだった。石嶺氏も謝罪し撤回している。ただ、投稿全体は素朴な不安の表明だった。配備で隣人となる自衛隊は災害派兵が評価されるが、いざとなれば実力で目的を達成する組織である。

女性や子どもが真っ先に戦争の犠牲になることも、歴史が示している。戦前の沖縄には日本軍の「慰安所」があり、戦後は米兵による卑劣な事件が相次いだ。思想信条とは関係ない。命と尊厳に関わる事実である。兵士個人というより、構造の問題である。

石嶺氏には、人格と暮らしを脅かす電話やメールの攻撃が続いている。見せしめにして、この機に配備反対の言論を根絶やしにする狙いか。議論以前の卑劣な手段というほかない。(阿部岳)

上記のコメントは「石嶺市議の投稿は言いすぎだった、本人も撤回・謝罪している。それなのに彼女を攻撃し、宮古島への自衛隊配備の言論を根絶やしにする行為は卑劣である」と纏めることができますが、政治家が軍人を侮辱する致命的な意味を沖縄タイムスが分かっていない(あるいは認めない)ことがハッキリと分かります。やはり「土人発言」の際のときに比べるとあまりの冷淡な態度にびっくりします。

「歴史的経緯がある、あるいは自衛隊は憲法違反であるから、侮辱あるいは差別しても構わない。言いすぎたら誤ればいい」という態度を沖縄2紙が現在も堅持しているのはある意味驚異的ですが、既存のマスコミは「現状維持」がモットーで社会環境の変化を嫌う傾向にあることを考えるとなるほどと言わざるを得ません。

ブログ主は「21世紀はアップデートの時代」と確信しています。思想信条や行動様式がつねに更新され、昨日の成功体験が明日には失敗の源になる厳しい時代が到来しています。そんな現在において、1960~70年代の観念を固持して沖縄県民をリードする人たちは、もはや「老害」の境地に至っているのではと思わざるを得ません。だから「マスコミの論調を正す」のではなくて「潰れたあとに備える」ことが必要ではないか?今回の石嶺市議の舌禍事件とその後の経緯を見ると、ブログ主はそのように感じざるを得ないのです。(終わり)

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