
前回の記事において、アメリカ世時代の傷害事件の一例を紹介しました。それを踏まえて昭和40年4月16日の勝連村松島料亭街での殺傷事件について振り返ってみると、刃物による傷害事件が多発していた同時期においてもこの事件は “異常” の扱いを受けています。
よくよく考えてみると、未成年者が日本刀を入手できる社会環境、そしていとも簡単に刃物で人を傷づける心理は現代人はおろか当時の人たちにも「いみくじわからん」心境だったのでしょうか。試しに琉球新報の記事を紹介すると、
・暴力には善良な市民が団結して当らなければ根絶を記すことがむつかしいが、こんどの例のように相手がきちがいでは、それにも限度があることを知らなければならない(昭和40年4月17日付琉球新報朝刊1面 金口木舌)
・しかし、善良な市民が町を歩いていて、わけもわからず切り殺されたり、暴漢の放った銃弾に当って死ねば「やくざのケンカにまきこまれてかわいそうに…」というだけで、この人の死は全くのいぬ死ににすぎず、昭和の今日、戦場でもまた百余年前の封建時代でもないのに、人間が切り捨てごめんにされてよいものだろうか(昭和40年4月17日付琉球新報夕刊1面 話の卵)
・と同時にみんなで考えたいのは、こんどの事件のような未成年者による刃ものをふりまわしての殺傷ざたがどうしてこうも簡単におきるのか…ということである。暴力団のならず者だから…といってしまえばそれまでだが、暴力団員に限らず、ハイティーンの刃ものによる犯罪が多いことを思えば、そう簡単には片づけられないものがある。考えられることは、現代の青少年は映画やテレビ、漫画などから常に強い刺激をうけ通しなところから、刃ものに慣れっこになり、しかもその刃ものがいつでも手にはいるということが、いつの間にか犯罪に結びつく。こんどの事件の暴力団員たちも未成年者であり、裏をかえせば彼らもまた不良マスコミと刃ものという魔ものの犠牲者ともいえるんじゃないか…ということである。青少年に刃ものを持たせないこと、不良マスコミの追放を真剣に考えるべきだと思う(昭和40年4月18日付琉球新報朝刊2面 社説)
・“刃もの” は “魔もの” というところであり、思慮分別の浅い青少年が刃ものを持つことがいかに危険であるかがわかる(昭和40年4月21日付琉球新報1面 金口木舌)
とあり、現代ならアウト判定な表現がずらっと並ぶ有様です。そして傑作なのが同年4月26日付沖縄タイムス1面「今晩の話題」で、同月19日から23日までの「刃物を持たない運動」についての記事をご参照ください。
またまた刺殺事件である。19日から23日までは「刃物を持たない運動」がくり広げられたが、何のことはない。かえって刃物事件がふえ、刃物の魅力を宣伝したような錯覚をさえ起こさせるほどだ。
暴力団グループによる勝連村南風原の料亭街襲撃事件につづいて、八重山西表で寝ているのを包丁で刺した事件、美里村吉原のバー街での暴力団による刺傷事件、そしてきのう(25日)糸満での刺殺事件、「刃物を持たない運動」の前後10日間でつぎつぎ4件、3人が殺され、3人が重傷を負っている。(下略)
いかがでしょうか。当時の琉球住民も社会の殺伐さには辟易していたことが伺えますし、それ故に自警団が必要不可欠な存在かつ「専門職化」していったこともご理解いただけたかと思われます。そして現代人から見るとアメリカ世は “ディストピア” に感じるかもしれませんが、ブログ主はこの手の間抜けが大量繁殖していたアメリカ世をどうしても嫌いにはなれないと明言して今回の記事を終えます。
傷害など12人 / 普天間署、暴力取り締まり
【普天間】暴力団取り締まり中の普天間捜査課では、28日午後から29日午前にかけ傷害とと博、器物破損現行犯で合計12人をつかまえた。
▽28日午後4時15分ごろ宜野湾市字普天間550、比嘉松牛さん方間借り人、田場計典(20)同市大謝名無職・A(18)、コザ市山内、B(17)、住所不定O(19)の四人を傷害現行犯でつかまえた。田場ら四人は兄弟のちかいをたてようと米国製短剣でそれぞれ交代で左小指を約半分切りあって血だらけになり騒いでいたもの。(昭和40年4月29日付沖縄タイムス夕刊3面)