琉球藩の時代 その2

~廃藩置県が現代の歴史家に過小評価されている3つの理由 その1~

1つは当時の琉球人が政治・社会のドラスティックな改革を望んでいなかったからです。当時の琉球社会の上級階級である有禄の士族、あるいは廃藩置県で失業した下級士族が新政府によい感情を抱くことはありません。

実は人口の多数を占める農民たちもドラスティックな改革を望まなかったのです。廃藩置県後に上級士族に対する課税が全廃され、税負担が大幅ダウンしたことによって当時の農民は新政を大歓迎します。ただし内法*地割制度*に代表される琉球国時代に完成した社会秩序の改革までは歓迎しなかったのです。

*内法(ないほう):琉球王国時代に運用された間切や村内の秩序を守るための掟。
*地割制度:農村に於いて運用された琉球国独自の土地制度。詳細は後日記載予定。

一例をあげると土地の所有、就学の義務、女子教育の普及は当時の農民たちにはまったく理解されません。伝統的生活を維持できてしかも税負担が軽減して最高、このままの生活が維持できれば良いという発想が一般的だったのです。

現代の歴史家で廃藩置県後における明治政府の政策、いわゆる旧慣温存を批判する論調が目立ちます。ハッキリ言って肯定的な論調は一度もお目にかかっていません。ただし当時の社会環境を考えると、琉球王国の旧来の慣習を維持したことは実に正しい政策なのです。当時の琉球人(廃藩置県後は沖縄県人)が明治政府の施策を積極的に受け入れるようになったのは1895年(明治28)の日清戦争の勝利後に小学校の就学率が急上昇してからで、明治政府側もここしかないというタイミングで土地制度や自治制度の改革を行います(続く)。

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