琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 イスラム教が普及しなかったこと その5

当事の琉球にイスラムの教えが普及しなかったもう一つの理由が神女の存在です。琉球・沖縄の歴史において地方自治における神女の存在は極めて大きなものがありました。理由は地域共同体における最高の権威として君臨していたからです。

尚円王統3代目の尚眞王(1477~1527)の時代に神女組織は体系化され政治機構の中に組み込まれます。中央の地方に対する影響力が格段にアップしたのですが、その反面神女組織の意向は王といえども無視できないほど大きくなります。

14~16世紀の琉球国は実は仏教国です。13世紀後半に仏教が伝来して当事の権力者に受け入れられたのは、

1.当事の僧侶たちが日本との外交を担っていたこと、

2.神女の組織との軋轢がなかったこと

の2点が主因でしょう。権威と権威の正面衝突が無く、うまく共存できた状態です。

*琉球・沖縄の歴史において、仏教の宗派は臨済宗と真言宗です。浄土真宗は薩摩藩によって禁教扱いでした。僧侶は士族の子弟からリクルートされ、1609年(慶長14)の薩摩藩の支配下後はの薩摩藩内の寺院に派遣されて僧侶としての修行を積み、琉球へ戻って寺院を運営・管理します。

イスラム教の場合はどうでしょうか?すべての信徒に同一の戒律を要求する原則は、すでに存在している権威を完全に否定しないと貫くことができません。聖と俗が区別されている仏教であれば神女の権威と共存できます。ただしイスラム教は不可です。そして既存の権威と新しい権威が衝突する場合は十中八九既存の権威が勝つのです。当事の社会構成を考えるとイスラム教が普及する余地はほとんどありませんでした(続く)。

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