琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 男色の慣習がなかったこと その5

日本の歴史において男色は僧侶の慣習から武士の慣習と伝播します。このことは、仏教が武士の間でも深く信仰されていたことを物語るのですが、琉球・沖縄の歴史において13世紀末にに伝来した仏教から士族の間に男色の慣習は広まりませんでした。

琉球王国時代の宗派は臨済宗真言宗です。沖縄最古の寺院は護国寺(沖縄県那覇市若狭)で宗派は真言宗です。真言宗が伝来したにも関わらず、男色の慣習がもたらされていないのはどう考えてもおかしいのですが、問題は歴史家が其の点に気がついていないことです。

薩摩藩の時代には琉球の寺院でお勤めする僧侶*は薩摩で修行するのが慣例でした。其のときに男色の洗礼を受けてもおかしくはないのですが、その慣習が那覇や首里の士族に広まらなかったのは仏教が士族(とくに人口の大半を占める無禄士族)にとってあまり魅力がなかったと思わざるを得ません。

*出家信者は無禄の貧乏士族の子弟からリクルートされます。

性風俗はあまり取り上げにくい内容であるのですが、よく調べてみると従来の歴史観からは観ることができない様々な事象が浮かび上がってきます。たしかにヤギや牛、あるいは魚介類と性行為の物語があるにも関わらず、男性間の肛門性交の寓話が一つもないのは何故か?なんて考える歴史家はいないでしょう。ブログ主が調子に乗って考察しているだけですが(笑)、性風俗を積極的に取り上げることは歴史を語る上で重要なことと確信しているのです(続く)。

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