琉球・沖縄の歴史の個人的な謎 近代にいたるまで女性が文字を読めなかったこと その5

大正時代の尾類(ジュリ)

琉球王国(あるいは琉球藩)の時代において、文字が読めたかもしれない女性の階層が2つあることを前回記載しました。1つが神女(ノロ)、そしてもう1つの階層が今回紹介する尾類(ジュリ)です。

尾類(ジュリ)とは遊女のことで、琉球・沖縄の歴史では15~16世紀あたりからその存在を確認できますが、1672年(寛文12)琉球王府は那覇市内に散らばって営業していた遊郭を辻(現在の那覇市辻)や、仲島(現在の那覇バスターミナル付近)に収容して遊郭および尾類(ジュリ)たちを厳重に管理します。

辻や仲島の最大の特徴は町の経営に男性が一切関与していない点です。それと辻や仲島は単なる遊郭ではなく、料理屋、芸者、宿泊サービスも提供する総合的な歓楽街でもあったことです。少なく見積もっても1672年から1944年までの272年間、女性だけで歓楽街を経営し続けてきたことは驚異的としか言いようがありません。

尾類(ジュリ)たちの最大の武器はコミュニケーション能力の高さです。首里や那覇の士族が彼女たちに惹かれた理由の一つが接待能力の高さです。特に上級士族の妻は例外なく無教養のため家庭内で会話があまり成り立たないケースが多く、それゆえに士族はこぞって遊郭に通い詰めます*。

*実は士族の遊郭通いは禁止されていて、毎年10月になると士族は5人一組で「傾城証文」を役所に差し出す義務がありました。傾城証文とは遊郭通いをしない誓約書のことです。だがしかし証文を守るものはほとんどいませんでした。 

遊郭を経営できる能力とコミュニケーション能力の高さ、そして歴史的に優れた歌人を排出している彼女たちなら文字が読めた可能性があります。ただしあくまでも可能性で、実際に文字の読み書きができたかは定かではありません。理由は神女(ノロ)のケースと同じで尾類(ジュリ)たちが書いた文章が(ブログ主が確認した限り)まったく見つからないからです(続く)。

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*画像は沖縄女性史(伊波普猷著、大正8年刊行)より、大正時代の尾類馬(ジュリウマ)行列祭りの様子。尾類馬行列祭りは毎年旧暦1月20日に行われた辻町の一大行事で、現代でも保存会のメンバーにによって継承されています。

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