久高島印象記 (4)- 又吉康和

 結婚 日本全國には結婚に關する奇が多からうが、我が久高島も亦その一つであらう。先づ婚約は男女幼い時兩方の親の勝手極めて置く、子供達の心中は始めから眼中にない。これからに現代離れして居る。

そして愈々婚禮の夜はランプは用ひずに、臼を倒して其の上に焔炎たる松明を焚くのである。その夜花嫁は必ず泣くことになつてゐる、里を出て花婿の家に着くまで泣き續ける。特に花嫁が家を出んとする時に、其の若しくは兄によつて花嫁の頭に酒を少し灌ぐ、そすると花嫁は愈々母の膝下を離れると云ふことを意識したものゝ如く激しく泣くのである。花婿の家に着くと高い膳に凡そ一升ばかりの御飯を山盛りにして夫の前に供へる。それを夫で食べる。之れは大事な儀式である。そしてに箸を着けようとする刹那、來客一同一齊に「アネーファー」と大聲に叫ぶ、そして次の唄を唱ふのである。

ゑけがみ子(男の子)なさは首里加那志奉公

ゑなぐ(女子)なさは君がめでい。

歌の意は男の子が生れたら大君へ仕え奉り、女子ならば聞得大君(神官の最高位)に仕へよ。即ち子供の立身出世を祝福する歌である。それから宴會に移る。其の時は最う(原文ママ)花嫁は逃げ出して隣家か何處かに隱れて居るのである。花婿は翌日から花嫁を探すに夢中になる、花嫁は洞窟、森の中、他人の家のどことなく逃げ廻る、普通一週間長いのは一ヶ月もかゝると云ふことである。三十年前七十日かゝつたレコードがある、之れは婿を嫌つた爲めであるとか、現に其の夫婦は尚ほ生存して居るとのことであつた。面して餘り早く探し出されやうものなら婚禮前から臭關係があつたと評判がわるいさうである。茲に一ツ奇觀を呈するのは婚禮の日取は根神に依つて選定されるので一年一回しかないから島内には十組も一度に擧行される。すると花婿は「花嫁探しの團体」が組織されるのである。探し出したら、髪を摑んで泣き叫ぶ花嫁を無理やり引づつて歸る、連れて來さへすれば目出度幕となるのである。

四 貞操檢査 此の島の開拓者白樽は其愛すべき妻と互に愛し合ひ、理解し合ひ、共働し合ふことを無上の幸福としてゐた、そして彼れ等は二人の幸福を創造すべく此の島に渡つたのである。彼等は更に子孫の繁榮を希ふた、そして子孫は彼等の希願した通り繁昌した。然し其子孫たる久高島では婦女を機械視して居る風習が殘つて居るのは如何にも殘念である。私は今其話を書うとして居る。

それは婦女の貞操を神の名に依つて檢査することである。ち十年目毎、即ち午の八月十日から三日間嚴肅に施行される、此の儀式をイザイホーと稱して居る。其方法は神庭と稱する廣場がある。其の一方に二間と二間半位の家が建てられてある、之れに七ッ橋と稱する神橋を架し、婦女子ををしてオモロを唱へしめつゝ此の橋を渡らしむるのである。若し不貞の女であつたら神必ず怒り給ふて、其の女を押し落し死に至らしむるものと信じて、身に覺えのあるものは決して渡らないから直にわかるとのことである。だから彼女等の貞操も神罰に瞞着されたもので、ほんとうに貞操の値乃至貞操を死守せねばならぬと云ふ自覺から來たものではないからいつかは破壞されるであらう。

今一ッ特筆すべき奇習は、死人を葬るに、非常に鄭重を極めた本縣に於て、獨り久高島は棺の儘、海邊の岩窟に置き曝にすることである、即ち風葬である。之ればかりは島の人も憚つて案内もし兼ねるやうであつたが、研究の爲めとあつて、新〔垣〕村長の案内であだね(アダン)の林を踏み分けて所謂「後生」と稱する所を探し當てた。北の方斷崖の上に立て瞰下(みおろ)すと岩窟の陰には新舊數知れぬ棺が竝べられてある。之れを見た時には流石に異樣の感に打たれた。然し近頃は普通の墓が造られつゝある。

今一ッ久高島には祖先の位牌がない、只香爐を入口に置いて禮して居るのみである。祭も三年忌で終わるさうである(續稿)(沖繩敎育 – 大正十三年九月一日発行より続く)

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