廃藩置県が沖縄社会にもたらしたもの

残念ながらいつのころか忘れてしまったのですが、とある新聞に「琉球処分が沖縄にもたらしたものはなにもない」と断言された投稿を読んだことがあります。はたして本当に何も無いのか?違和感を覚えつつ今日にいたるのですが、では実際に明治12年(1879年)の廃藩置県が我が沖縄社会どのような影響を与えたかを考察してみます。

明治5年(1872年)に時の明治天皇によって琉球国王尚泰は琉球藩に封じられます。そしてすったもんだのあげく明治12年の廃藩置県に至るのですが、その間の経緯説明は(今回は)割愛します。その詳細は喜舎場朝賢著『琉球見聞録』が最高の史料ですので、読者の皆さん是非ご参照ください。廃藩置県の結果、琉球藩は廃止され沖縄県が設置されるのですが、その後沖縄社会は漸進的ではありますが政治、社会および風俗文化の改革が行われます。その成果を振り返り、現代社会に影響を与えたものとして、

1 琉球・沖縄の歴史上始めて”平等の観念”がもたらされたこと。

2 識字率の上昇。とくに女性が文字を読み書きできるようになったこと。

3 近代法の導入。とくに重要なのが所有権と参政権がもたらされたこと。

の3点があります。そしてこれだけでも廃藩置県は行われた価値があるとブログ主は考えています。件(くだん)の投稿者は現代社会における政治・社会制度等を当り前のように思っているのかそのあたりは不明ですが、その原点は明治12年の沖縄県設置にあるのです。

すでに当ブログにて(尚家が支配していた琉球国の時代の)女性は文字が読めなかったことの記事を提供していますし、所有権と参政権の件は『沖縄県土地整理紀要』を通読後に改めてブログにて記事掲載の予定です。今回は明治時代になって始めて沖縄社会に”平等の観念”がもたらされた件について少し説明します。

琉球・沖縄の歴史を振り返って印象的なのが、土着の風土や権威に根ざした上で社会全体に共有できる”平等の観念”がまったくないということです。つまり”~の前に平等”のセンスが社会にまったくない、具体的には王の前でも、聞得大君(チフジン)の前でも、またはニライカナイの神の前でも住民は平等ではないのです。もちろん中華の皇帝の権威の前でも、薩摩島津家の権力の前でも平等ではありません。廃藩置県後に始めて”臣民”という概念がもたらされ、具体的には日本人は天皇陛下の前では平等との観念が社会に浸透するようになったのです。

そしてこの平等の観念こそ日本が沖縄に対してもたらした最大のプラス面で、それゆえに沖縄戦後のアメリカ世の時代において当時の住民は祖国(日本)への復帰を熱望したのです。明治政府は琉球・沖縄の歴史上で(建前として)琉球住民を平等に扱った始めての政権です。この点は特筆特大で強調すべきであって、当時の人たちはそのことがよく解っていたのです。だからアメリカ世ではなく、やまと(日本)への復帰を希望したと断言しても構いません。

そして平等の概念がもたらされたことで、始めて”はたして我々は平等に扱われていないのではないか?”という観念が起こります。これが一部知識人の唱える”沖縄は差別されている”という主張の原点です。平等思想がもたらされて始めて不平等感に目覚めたのであって、尚家の琉球国ではこのような不平等感が起こることはまずありえませんでした。(当時の住民は)自分達が悲惨な境遇であることは察知しても、その原因が社会構造に根ざした不平等体制であることに気がつかなかったのです。社会全体を共有する平等思想のない社会は、支配下住民にとって自分達が奴隷に等しい境遇にされたことを察知できないという実に恐ろしい結果を招いたのです。

ちなみに平等の観念はあくまでも建前であって、実際には社会にある種の不平等があったことは否定できません。「何とかしないといけない」との発想が社会の中から自発的に出てきたことが重要なのです。そして当時の沖縄県人たちは地道に努力しながら、現代社会を築き上げたのです。現代を生きる沖縄県民は、現実の差別を克服するために努力を積み重ねた偉大な先輩がいたことをもっと誇りに思っていいし、廃藩置県以後の歴史に対して敬意を持たないといけません。

最後に、もしも沖縄が独立した場合、それはつまり「天皇共同体からの離脱」を意味します。具体的には”天皇陛下の前に平等な日本人”という原則の放棄ですが、そうなると独立後の政権は新たな平等の観念を作り出さないといけません。ただし琉球・沖縄には土着の文化風俗に根ざした平等の観念がありません。はたして明治の日本人のように独力で平等の観念を作り出すことができるのか、ブログ主は極めて難しいと考えています。その結果かつての琉球国とは違った形で、不平等を前提とした社会階層が誕生するのではと危惧せざるを得ないのです。(終わり)

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