日共の対琉要綱 – 沖縄タイムスの社説

今回は昭和29年(1954年)8月30日に米国民政府から公表された『日共の対琉要綱』に対する沖縄タイムスの社説を掲載します。なお琉球新報は冷静な論評を掲載していた印象がありますが、沖縄タイムスの記事は辛辣そのもので、おそらく読者の皆さんもびっくりするかと思われます。

沖縄タイムスは昭和23年(1948年)7月1日、一般紙として発刊されました。戦前の『沖縄朝日新聞』のメンバーが中心になっての創刊ですが、同時期に営業していた『うるま新報』と違いは沖縄民政府とは完全に距離を置いていたことです。それ故にこの時期のタイムスの記事を読むと、可能な限り米国民政府や琉球政府に距離を置く姿勢が見受けられます。

にもかかわらず沖縄人民党に対して極めて厳しい社説を公表している点は注目されます。ブログ主の責任をもって内容をまとめると、「真意を隠しての政治活動は実に迷惑極まりない」になり、はっきり言えば「最低」ということです。読者のみなさんぜひご参照ください。


昭和29年9月1沖縄タイムス社説 暴露された人民党の正体

政府立校舎の使用を禁止した理由の一つに「軍及び政府を暴力で破壊することを主張し、若しくは誹謗する集会、団体及びこれを支持し援助するもの」という条文があったが、そうした政治行動が実際あって危険と弊害が危惧されたために、校舎使用の禁止という嘗つてない非常措置を中教委(中央教育委員会)が決行したといわれている。

学校はそれぞれの地域社会における文化センターとして開放されなければならぬ、とされていた。こんどの地方選挙にしても、学校以外に適当な広場のない処では、演説会も開くにも困るだろうし、聴く側の有権者達にも何かとマイナスになることがおおい。そして一ばんこたえた(堪えた)のは政党側であろう。社会教育の立場からすれば、かっこうな政治教育の場を失ったとも言えるのである。学校を利用しての政治活動が、社会に好影響をあたえるものであれば、賢明な中教委がこれを唐突として禁止する筈はない。とすれば矢張り政府を誹謗する政治団体がさせた「校舎の使用禁止」であり、善良な政党や住民にもその被害をこうむらしたことになる訳である。

社会に害毒を及ぼす政党は、公党たるの資格がなく害あって益のない存在と言わねばならない。人民党を米軍当局が煙たがっていたことは前からのことであり、徒らに観念的なイデオロギーにとらわれて、政界からも異端視されて今日に至っている。その証左となるもとをいちいちここに列挙する必要はあるまい。(米国)民政府情報部長ディフェンダーファー氏の発表こそ、人民党の過去の行動を端的にいい当て、その実体を余すところなく暴露したものである。すなわり日本共産党の対琉基本綱領が最近ライカムG2によってある筋から入手されたが、この秘密文書の内容は「全文54項目からなるぼう大なもので、復帰運動、労働組合、軍用地問題、賃金の引上げ闘争などその他各面の問題を具体的にとりあげ、これに微細にわたる指示をあたえており、人民党のこれまでとってきた行動がこれといちいち符合することから、同党が日共の指示によって動いていた事実を裏書きする」ものとして注目されるのである。

人民党が特殊事情下にある琉球の公党であるならば、同党が結成当初呼称した「愛される人民党」として、口汚い扇動を慎み、あらゆる政治活動の結論を、琉球政府打倒や反米にもっていかないで、建設的なものとすべきであった。人民党が他の諸政党より積極的に無産大衆の利益にかかわる諸問題をその都度果敢にとりあげ、それがかわれて人民党ファンを逐年殖やしつつあったことは誰しもが認める通りである。だが採りあげた政治諸問題の解決に必要とされるものは、米軍当局との協調、あるいは諸政党の政策と歩み寄る提携が絶対不可欠の条件であるにかかわらず、寧ろそのすべてを退けることに終始し、せっかく採りあげた諸問題を破壊に導いてばかりいた。人民党のこうした破壊的言動が「こわい人民党」とみられるようになり、民主・社大両党からも危険視されて遂に独りわが道をいく孤立化ともなったのである。

統治者たる米軍当局と、それから民主政治を志向する琉球政府並びに他の政党との提携をいさぎよしとせぬ人民党に対し共産党の疑いがかかる事は当然の理とされよう。既成の勢力に対し、いささかも妥協を許さず、専らこれを破壊することが、共産党の立場だと一般に解されているだけに、成程人民党のこれまでとってきた行動は共産党に類するものがあり、ひょっとしたら日共の指示によって動いているかも知れぬ、との疑惑が高まりつつあったことは確かである。このとき日共の指令と人民党の行動が符合する、との軍当局の発表がなされたわけである。

実体が暴露された以上、各方面からの人民党に対する警戒と監視はいよいよ厳しさを増すことになるであろう。地下にもぐることも考えられる。共産主義者はマルクスの資本論と、唯物史観を無二の教本として、既存の諸制度及び道徳や文化を否定し、無産大衆を結集して、階級斗争(闘争)に導入する。そして時期至れば暴力革命となり、革命成就の暁は、プロレタリア独裁ということになる。独裁のためには、教育と警察と軍隊の完全掌握が必要とされ、従って個性と自由なき画一の教育が強いられ、或は秘密警察や軍部のばっこ(跋扈)となって人々を恐怖させるものだ、と評されている。

たとえばソ連邦の学校教育の性格を基本的に規定しているものは共産党の綱領とスターリン新憲法とであり、学校は共産主義原理一般の先導者であるばかりでなく、また共産主義を決定的に樹立しうる世代を教育する目的のもとに、勤労大衆の半プロレタリアート層ならびに非プロレタリアート層に対し、プロレタリアートの思想的、訓育的感化を与える先導者でなければならぬ、とされているという。

ともあれ共産主義者は、既存の政治、経済、文化を根こそぎ改革するスターリン原理を信条とし、一般大衆の思想的、訓練的感化を与える革命の先導者である。既成の勢力に反発する建前からして、いきおい殉教者的な英雄主義を装い身命を賭す観念的な暴走も敢えて辞さない。左翼小児病といわれる所以である。右翼の全体主義、左翼の共産主義はどちらも独裁政治を意味し、民主主義の議会主義とは本質的に異なるものである。

米上院は共産党の非合法化法案を満場一致で可決した。反共は米国の国是、従って共産党の非合法化は不可欠なものであったろう。さて、それが沖縄にどう影響するか。人民党をめぐる琉球政界の今後の動きが注目されている。

昭和29年9月2日沖縄タイムス社説 「赤」に対する警戒

民政府当局によって暴露された「日共の対琉攻勢要綱」は立法院をして共産主義政党調査特別委員会を設置させ、共産政党の非合法化への決意を固めしめた。これは又住民にとっても大きな警鐘として共産主義への警戒心を高めさせたであろう。同時にわれわれは共産主義者たちが如何に巧妙な理論と公式論で大衆の扇り立てるものであるか、その「戦法」を知ることを得た。

事実、多くの住民は今まで、共産主義者がどんなことをなし、如何なる実害を社会に与えていたかを知らずにいたのである。それは、例えば「人民党は共産党なり」と聞いても、ピンと来なかったことによっても、そうだったということがいえよう。しかし、今度の日共の対琉指令は、何をどう採上げ、どう処理し、その終局の目的が何んであるか、彼らの意図し、彼らの言動が何んによってなされているかをはっきり住民はキャッチすることが出来たと思う。

日共の対琉要綱は「平和と復帰」を中核として、労組や各種団体の正常な活動に浸透して「真の味方」の仮面をかぶって次々と共産思想を伸ばしていく戦法を指示し、常に富の平等と権力の平等を謳いいつつ、人心の吸収を狙い、そのために現実を無視した理屈をもって混乱と住民間に対立と分裂をもたらす言動をとれとしている。

日本共産党がこうした指令を出しているところを見ると、琉球の現状について詳しい資料を持ち、われわれ住民の中に共産党員が存在するからであり、住民はこの点についても警戒をしなければならぬであろう。しかも、われわれは、既にその実害をうけていることを知らねばならぬ。共産主義者が住民の祖国復帰の希望に乗じていなければ、恐らく現在のようにその悲願をむげ(無碍)に叩きのめされずにすみ、実現の可否は別として絶えず意思表示をすることは許されたであろう。また労働組合が伸び悩んでいる理由も、教職員会が批判されねばならぬ理由も、ちょっとした住民のレジスタンスが反米であるときめつけられることも、すべて共産主義者が存在し、日共指令によって動いているということから受けている。したがって、われわれ住民は今こそこの「日共指令」の条項を一々検討し、これに対決する態度をとらねばならぬであろう。

東京の沖縄県学生会が出版した『祖国なき沖縄』が、(米国)民政府当局では共産党の指導によるものであるとして異常な関心を寄せている。日共指令によって感知される通り、在日学生への食い込みにも相当積極的なようであり、折角遊学させて子弟を『赤』に染まさぬ注意が父兄に必要なことも言を俟たぬ。

われわれは日共の言うようにロシア、アジア的な近親感を絶対に持ち得ない、それは独裁政治を嫌い、狂気じみた英雄主義と秘密主義を嫌い、自由と平和と個人の幸福を求むる民主々義を望むからである。思想は自由であろう、がしかし共産主義者が対社会的活動をする限り、それは住民の共同の敵として対処しなければならない。自由を守るために共産活動に対する警戒を続けることだ。

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