◆ 本縣の野球について – 早稻田生

今回は大正6(1917)年9月3日と4日の2日にわたって掲載された「本縣の野球について」の論文を掲載します。大正時代の野球のレベルを伺うことができる的確な内容で、野球好きのブログ主も大変参考になりました。

原文のよさを損なわないよう、最小限の訂正のみで全文を書き写しました。読者のみなさん是非ご参照ください。

本縣の野球について(上)- 早稻田生

本縣の野球界は過去に鑑みて大に改善を要すべき幾多の案件が橫たはつて居る事は夙に識者の認むる所であつて敢えて我輩の如き者が今更呶々(どど)を要しないかも知れぬが、兎角(とにかく)本縣野球復活のため些か余の意見を吐露する事を許して下さい。

最近十年間に日本の野球技は長足の進歩をして現今では國際競技として毎年米國の大學チームを招聘して互に雄を爭ふて居る。斯界の三大重鎭として野球技を賑はすのは早稻田、慶應、明治の三大學で、此の國際的野球は滿都の好球家を熱狂せしめるのである。尚其の外に年中行事をして學生界の人氣を集めてるのは第一高等學校對第三高等學校の野球戰、及び大阪朝日新聞主催全國中等學校野球大會等である。此の全國野球大會に參加すべき代表チームは各地方で火花の出る樣な猛烈な豫選大會が舉行される。かくて各地方で優勝を得たるチームが相集りて更に大阪豊中グラウンドの檜舞台に於て互に爭覇戰の火蓋を切〔る〕のである。そして今年は愛知第一中學が全國中學の覇権を掌握した。之れに反して本縣の野球界を觀るに甚だ微々たるものである。近年稍々勃興したとは云へ他府縣中學チームと互角の勝負をして行く事は今のやうでは困難である。斯樣(かよう)に本縣の野球界が不振なる最大原因は奈邊に存ずるか?我輩は此處に其の原因を述べて見ようと思ふ。

第一、チームの少ないのと試合の寡少なる事

第二、交通不便の爲め他府縣の學生チームに接する機會が少なく從つて外界の刺戟(しげき)がない事

第三、確實なる指導者(マネジャー)が居ない事

第四、活氣が乏しい事

不振の原因は凡そ以上の事柄だらうと思ふ。本縣の野球界も明治三十八九年頃は盛んなものであつたが外界の刺戟がないためすぐ消滅してしまつたのは遺憾である。然して近來稍々發達の曙光が認められて來たがこれも因襲的惰性に驅られ消滅する恐れがある。この時に於て貴社が昨年より縣下野球大會を舉行し野球技の廢頽せんとするに當りてかゝる壮舉に出たるは實に當を得た事である。(大正6年9月3日付琉球新報2面)

本縣の野球について(下)- 早稻田生

第一に本縣の如き交通不便なる土地では他府縣の學生と接する機會が少ない故、自然に両者間の氣質知らず意思不疎通となり從つて我琉球を度外視するのである。琉球を他府縣に紹介するには両者合會する機會を繁らかしめ、毎年他府縣へ修學旅行生を出す時に野球チームを組織して彼等に挑戰すべき機會を作らねば、交通不便なる沖縄では外に彼等と相會する時がない。若し彼等と戰を挑むならば當然の結果として漸次に親密を加へ來り進んでは談笑裡に意見の交換が行はれ意思流通し釋然として相氷解し血湧き肉躍るの決戰が出來るだらう。若しこれが事實となるものなら旅行生及び縣下學生の精神上に偉大な好い影響を與ふるものであると信ずる。

第二には野球技が科學的に進歩せる今日に於て野球知識を知得せしむる爲に夏季休暇に大學選手を招聘して確實にコーチ(指導)を受ける事、他府縣の中學では毎休暇を利用して科學的に精神的に野球の進歩發達を努めて居る。然し本縣の現今の狀况ではとても大學選手の招聘は望み得られさうもないから、舊來の通り姑息の施設に甘じ學校當事者の出來る限りの設備を要望するより他に道はない。聞く所によれば、早稻田大學野球團一行が今年の冬季休暇を利用して臺灣へ遠征するとの事だが、ついでに本縣にも立寄るやう同野球部へ貴社が交渉せられん事を切に渇望する次第です。此の千載一遇の好機會を逸せずに必ず招聘して本縣中學チームのコーチ傍々どの位本縣の中學チームが耐え得るか琉球健兒の意氣を示したい。若しこれが實現されて日本最強チーム早稻田野球メンバーに接し得たら此の上もない嬉しい事である。第三には野球大會なるものを今後年中行事として貴社が體育界に大に貢献せられん事を望む、そして其の優勝者を全國中等學校野球大會の九州豫選大會に出陣せしむる時機の到來を期待してやまない。(明治6年9月4日付琉球新報2面)

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