【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 – その2

今回はひさびさに真面目な歴史記事を掲載します。以前、『【急募】琉球藩の二枚舌交渉を擁護する方法 』と題した記事をアップしましたが、ブログ主も沖縄県民としてご先祖さまのやらかしに対してとかくのツッコミはいれたくないのです。だがしかし明治8年以降の琉球藩の対日交渉をつぶさに観察すると、あまりの酷さに

沖縄県民が現在の韓国外交を笑う資格があるのか

と正直に思わざるをえません。突っ込みどころに事欠かない琉球藩のやらかしの中から、今回は明治8年9月3日の公式文書を紹介します。

明治8年7月に松田道之が来琉し、清国との関係断絶などを要求すると、琉球藩庁は蜂の巣をつついだような騒ぎになります。その顛末の詳細についての説明は省きますが、琉球藩の首脳たちは決断ができずにひたすら回答延期を申し出ます。この時点で松田道之さんはちょっとお怒りの様子ですが、だがしかしすったもんだの挙句に提出された明治8年9月3日付琉球藩王尚泰の署名付公式文書が松田さんの怒りに火をつけます。その内容は下記参照ください。

読み下し文は以下ご参照ください

当藩支那(清国)との続き従前通り仰せつけられたく再三願いたてまつりそうそう処、不条理の(理)由にて御採用ござなく、分けて御厳達の趣承知いたし、この上御断(=お断り)も申上げ難き事ござそうろう(も)、さながらかねがね申上げそうろう通り当藩の支那における五百年来の恩義これあり、その上御征台(台湾出兵)の末支那(との)御談判(=外交交渉)以後にも取扱い何篇(=まったく)従前と相替り申さず事にそうろう、〔それゆえ〕直様(=ただちに)(清国との関係を)断ち絕(断絶)さぶらひては何共致し難き次第ござそうろう間、何卒政府より支那御談判を以て進貢差免られ(=日清交渉で進貢を中止させ)そうろう通り、支那より咨文(=公式の外交文書)到来の上、御請け仕りたくござそうろう間、その通り仰せつけられ下されたく仰ぎたてまつりそうろうなり。

何故この公式文書に対して松田道之さんが怒ったかと言えば、太字の部分を読めばおわかりでしょう。ちなみに太字部分は「日清交渉において進貢中止が決定後、清国より正式な外交文書で進貢中止の通達があったのちに(明治政府の達書を)お請けします」との意味です。つまり清国からの正式通達のあと態度を決めるとの意思表明であって、

何で明治政府の令達よりも清国の通達の方を優先するのか

とブチ切れるのも無理はありません。しかも悪いことに琉球藩の方々は松田さんのお怒りの理由を分ったようで分っていなかったのです。それゆえにこの後も公式文書を提出するたびに松田さんの怒りにガソリンを注ぐ酷いことになったのです。

最後になぜこんなおバカな公式回答を出したのか現在のブログ主のレベルでは理解できませんが、もしかしたら明治政府による明治12年の廃藩置県を「廃琉置県」と唱える方々や、琉球処分を「武力併合」と主張する琉球独立芸人さんならうまく擁護できるかもしれません。いちど理由をお聞かせ願いたいと思いつつも、だがしかし共感はできないなと確信しているブログ主であります(つづく)。

SNSでもご購読できます。