【私見】コザはなぜこんなに人を引きつけるのか(人が集まるとは言っていない)

先月31日付琉球新報デジタル版に “桐谷健太もハマった コザはなぜこんなに人を引きつけるのか〈映画「ミラクルシティコザ」への道〉1” と題した興味深い記事が掲載されていました。1970年代のコザを舞台にした映画が令和04年1月に県内で先行公開されるに伴う宣伝記事ではありますが、今回はブログ主なりにコザの魅力について言及します。

ちなみに当運営ブログでも沖縄市中央をはじめコザ関連の記事は多数配信しています。ブログ主の地元である宜野湾によりも多くの記事をアップしているのはちょっと笑えますが、それだけ(記事として)取り扱いやすい地区であることは間違いありません。ちなみに取り扱いやすい最大の理由は、現在の沖縄市中央が(規模は違いますが)ローマと同じく、

遺跡(廃墟)のなかに町がある

からです。具体的にはアメリカ世時代の繁栄と現在の寂れっぷりを体感できるエリアとして存在感が抜群なのです。沖縄市中央の場合は遺跡とは当然アメリカ世時代の建物のことであり、令和の今日でも複数現存しています。

ただし沖縄市中央の場合は、旧美里村吉原や宜野湾市真栄原のような “死んだ街” ではなく、現在も生きています。廃墟が多いというだけで街には生命力を感じさせるのがポイントであり、だからこそ多くの人を惹き付けているのです。

“遺跡の中に町がある” と言及しましたが、その最大の利点は “黑い歴史” が忘れ去れたことにあります。コザの黒歴史といえばやはりコザ暴動を思い浮かべるかもしれませんが、それだけではなく人口が急速に増えた “繁栄と退廃” がセットになった町がアメリカ世から復帰直後のコザの実相であり、その記憶はもはやあの地区には残っていないのです。たとえばブログ主の知る限りコザの闇を挙げると、

1.沖縄最大の麻薬汚染地帯(ヘロインの本場)。

2.アシバー(旭琉會の全身であるコザ派→山原派)たちの根拠地のひとつ。

3.非琉球人の存在(在琉奄美大島出身者)

であり、これらの黒い存在がきれいさっぱりと消えて、初めてノスタルジー(なつかしさ)を体感できる地区に変貌したのです。特に非琉球人がコザ発展の原動力になった点はNGであり、当時を生きた琉球住民たちには一番触れられたくない過去かもしれません。

噓だと思うなら70台過ぎのオキナワン・ロッカーに当時の話を聞いてみたら?

と突っ込んでおきます。

あと世代的にコザに魅力を感じるのはおそらく昭和47(1972)年の復帰前後に生まれた世代まででしょう。理由は親がコザに遊びに連れていったからです。全盛期の一番街やプラザハウスなどのイメージが記憶の片隅に残っている世代なら映画 “ミラクルシティーコザ” の世界を理解できるのではと思っています。

最後にブログ主からみて現在の沖縄市中央の住民は在りし日のコザのイメージを重視しているようには見えません。一部の住人たちにとっては大切かもしれませんが、ただし今はあくまで普通の住宅街です。そのためブログ主は沖縄市中央を訪れる人達には節度を持って街を見学してほしいと強く訴えて今回の記事を終えます。

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